←仁科峠から海岸線に下りると、目的地の堂ヶ島です。 
 「堂ヶ島の揺るぎ橋」は、この(矢印)あたりなんですが‥
 ほんとうにこの国道136号線の道路沿いですかね?
 加山雄三ミュージアムの無料駐車場に停めて、徒歩で向かいます。

 ここで「堂ヶ島の揺るぎ橋」を簡単におさらいすると‥
 ときは天平年間(西暦740年前後)、墨丸という名の海賊たちが略奪を繰り返していました。この日もこの地の村人から略奪したものを持ち去ろうと、薬師堂の前にかかる橋に差し掛かったところ、橋はまるで地震のように揺れ、海賊たちの行く手を阻みました。そして仁王さまが墨丸を捕らえて事件は一件落着。以来この橋は、心の汚れた者が渡るとゆれる『ゆるぎ橋』と呼ばれるようになったと伝えられています。月日は流れ、風雨に曝され橋も薬師堂も今はなく、由来を書いた石碑だけが残っているそうです。  
 意外にあっけなく、見つかりました。→
 これが「堂ヶ島の揺るぎ橋」。
 道路わきから洞窟に下りる石段に石碑がありました。
 石碑の左右に立っている丸太は、吊橋の柱?
 道路のコンクリート壁にかけてある朽木は、橋の部材?
 「ただの風化した材木」と言ってしまえばそれまでなんですが、これはなかなか面白いですね。
 特にコンクリート壁にかけてある朽木は、どうしてこういうかけ方をしたのか、興味があります。
 R136を工事した人は、「えーっ、オレがせっかくきれいに作った壁に、こんなボロっちい木をかけるんですかい?」なんて言ったのではないか?(笑)
 また西暦740年前後ということは、この朽木は法隆寺よりは新しいものの、それでも1,300年が経っているわけです。
 確かに説得力のある、朽ち果て具合だけれど‥
 橋があった時代よりも、この朽木をこうして壁にかけた西伊豆町の人のほうに、想像力をかき立てられます。
 帰る道すがら、遊覧船の乗り場を通ると、売店のおばちゃんに声をかけられました。
おばちゃん「お〜い、あんた、洞窟はこっちの方向だぁ?」
僕「いや、僕は橋を見に来たんです。で、いま見てきたところです」
おばちゃん「橋?あぁ橋なんかもう無えよ!」
 おばちゃんの声は、「そんなモノを見に来たの?」という心底がっかりしたようなトーンでした。
 親切に案内してくれたのに、ごめんなさい。
 僕は横浜から単車とばして、あの朽木を見に来たんです。
 でもせっかく現物が残っているのに、あの保存状方法では、ちょっともったいないと感じました。  
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