「憂国祭」
                                                                   殉青広報部
十一月二十五日(土)、山口県下関市長府宮の町「忌宮神社」氏子会館に於いて、午後六時依り、生駒 治斎主の下「憂国祭」が斎行された。

  昭和四十五年十一月二十五日、東京都市ヶ谷

「陸上自衛隊東部方面駐屯地」の幕僚長室2階

テラスから約千名の自衛隊員を前にして、国の

現状を憂い「自主独立憲法制定と国防軍創設」

の実現を目指すよう「」を発して決起を促し

たが、憲法9条で牙を抜かれた自衛隊員の罵声

「憂国の雄叫び」が掻き消され、悲痛な念

三島由紀夫・森田必勝両烈士」は室内へ

り、割腹自決を以って国民へ血願した。

  この「義挙」を過去の歴史として風化させて

は成らないと例年「慰霊祭」を斎行すると同時

に「三島精神」の継承を誓う為「初霜顕彰会

憂国忌祭」等の名称で、本年も全国各地に於

いて、憂国の同志が集いて催された。

  当塾は地元に於いて同志と共に毎年行ってい

るが、今回は主催団体が民族派本流「大東塾の流れを汲む「不二歌道会」の関係で有り、塾生の勉強も兼ねて寺岡 誠塾統他、塾生5名(車輌2台)で参加した。

  午後五時、池田益男会長(大日本煌翼会)等と現地で待ち合わせ、同神社裏手に在る「乃木神社」の参拝と乃木宝物館等を拝観後、憂国祭へ参列した。

  参列の切っ掛けは「忌宮神社」にて例年「憂国祭」を斎行との情報を得たからで有る。

直ちに同神社へ内容等を確認後、呉石謙治会長(大日本興友会)・下林幸秀行動隊長(大日本國誠連合)等の友好団体に対し寺岡塾統が参加を呼び掛けて、二十名の同志と共に申し込んだ。

  午後六時依り「慰霊祭」を開式、「修祓・祝詞奏上」の後、林 吾郎行動隊長(殉国青年塾)が三島由紀夫先生の「檄文」を朗読、その後「玉串拝礼」等を済ませ一連の神事(憂国祭)が終了。

 続いて地方史家「堀 雅昭」氏が「三島由紀夫と杉山茂丸」を題材に講話、座して参列者一人一人が真剣な面持ちで三島家(本名、平岡家)が関った国政の史実を拝聴した。

 午後八時前、遠方依り参加した小田島洋之塾長(長州塾)古原 勉副会長(大日本北政会)・比山堅剛本部長(日本玄洋社)・等の各団体は挨拶を済ませ、一足先に帰路へ付いた。
  午後八時過ぎ、式場を「直会」の席へと改め、最初に主催団体「眞情会」の青田國男代表が挨拶と関係者の紹介後、続いて来賓を代表して「直会」に出席した寺岡塾統が参加への経緯と、当塾と赤間神宮との因縁及び日頃の活動報告と塾生を紹介し、今後の交流を御願いする為に参列者との
名刺交換等を行った後に懇親会へと移った。

 午後九時前、当塾は各位に中座の挨拶と再会を約して帰路へ付いた。

皇紀二六六六年十一月              

              参加団体(総員37名)五十音順

 北九州民族協議会眞情会(山口県)殉國青年塾総本部(北九州)

 大日本興友会(山口県)大日本政鈴会(山口県)大日本北政会(福岡県)

 大日本煌翼会(福岡県)長州塾(山口県)日本玄洋社(福岡県)不二歌道会(東京都)