年号 | 登場人物 |
主な出来事と時代背景
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4世紀
初頭
A.D.350年
A.D.369年
A.D.375年
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仁徳
(にんとく)
天皇
この頃は天皇
という称号
はなく、大王
(おおきみ)
と呼んでいた。
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古墳文化 埴輪・鏡・玉: 近畿地方から瀬戸内海沿岸の
各地に前方後円墳と呼ばれる大きな墓(古墳)が、
つくられはじめた。
これらの古墳は、各地の王をほうむるためにつくられたと
考えられる。
なかでも、大和(奈良県)を中心とする地域には、
特に大きな古墳が造られた。
この国家を大和国家、その政府を大和朝廷と呼んでいる。
A.D.350年大和朝廷が国内をほぼ統一する。
地方の有力な豪族たちも、姓を与えられ国造りなどに任じられ
地方を治め、朝廷に貢物をおさめた。
氏と姓にもとづく政治の氏姓制度ができる。
人物埴輪出現
古墳の形は前方後円墳のほか、円墳(えんぷん)や方墳
(ほうふん)などがあった。
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A.D.391年
A.D.413年
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武
(雄略天皇?)
(ゆうりやく)
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大和朝廷の軍が朝鮮で高句麗と戦い、任那(みまな)という
朝鮮半島の南部に日本府を設ける。
朝鮮からの渡来人が多く、百済から織物・彫刻・陶芸などの
技術が伝わる、
倭(日本)の王 讃(さん)が中国の南鮮に使いを送り貢献する。
倭の五大王(讃(さん)・珍(ちん)・済(せい)・興(こう)・武(ぶ))、
その最後の武=第21代雄略天皇
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A.D.421年
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珍大王
武大王
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5世紀頃応神古墳、仁徳陵古墳などの、最も大きな
前方後円墳がつくられた。
物部氏、蘇我氏ら豪族が勢力を争う。
倭(日本)の大王 珍(ちん)が中国の宋に使いを送る。
倭(日本)の大王 武(ぶ)が中国の宋に使いを送る。
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A.D.507年
A.D.538年
A.D.562年
A.D.593年
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継体(
けいたい)
天皇
推古(すいこ)天皇
(飛鳥時代)
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継体(けいたい)天皇・安閑(あんかん)天皇・
宣化(せんか )天皇
百済から仏教が伝わる。
6〜7世紀頃になると、小さな古墳が、各地に数多く
つくられるようになった。
任那(みまな)の日本府が滅びる。
A.D.587年頃 蘇我馬子(そが
の うまこ)が物部守屋
(ものべ の もりや)を滅ぼす。
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