新憲法起草者ベアテ・ゴードンさん死去
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1923年、ウイーン生まれ。当時世界的に著名なピアニストの父、レオ・シロタ(ロシア系ユダヤ人)の日本転勤のため、5歳だったゴードンさんも1929年5歳で來日。
15歳まで10年間日本で過ごした。
その後米大学へ留学。留学中の1941年日米開戦。
終戦後の1945年12月、両親に会いたい一心で連合国軍総司令部(GHQ)民政局職員として再来日した。
男女同権の新憲法法起草者ベアテ・ゴードンさん
     H24.12.30日89歳で死去
弱冠22歳のB・ゴードンさんは新憲法の人権部分起草という職務を与えられた。度肝を抜かれたが「日本の女性に幸せになってほしい」との強い思いを胸に、日本政府の抵抗をはねのけ、男女同権を残すことに成功。
当時、米国にも男女同権の憲法はなかった。
「22歳の小娘が起草したという事実を逆手に取られたくない」という思いから約50年間、公の場も、自分の子供にも憲法起草の経緯に関し口を閉ざした。
昨年12月の総選挙で改憲を公約に掲げる自民党が勝利、政権復帰した。「母は死の直前まで、男女同権だけでなく、平和憲法についても改正の可能性を憂慮していた。」
1960年、米ニューヨークを訪問された美智子妃
(左)と歓談するベアテ・ゴードンさん(右奥)と長女のニコルさん(右手前)