= 巨 星 落 つ ! =           寺岡   誠

 

昨年1025日、前九州民族青年会議々長・全愛会議顧問で在った「青論社」の代表、次賀國男先生が逝去成され、御遺族の希望により親族友人のみで密葬が行われた。

 しかし先生を慕う多くの民族派同志の声により、本年3月14日、福岡県太宰府市の「積善社」に於いて、午後1時より、葬儀委員長・三宮誠司氏(尽忠党々首)の元、吉田哲夫氏(全愛会議本部長)を始め約250名の同憂同志が全国各地より先生を偲んで参列し、神道儀式に依る本葬告別式がしめやかに執り行われた。当塾も北九州民族協議会の執行部役員と共に参列した。

 

次賀先生は九州を始め全国各地に於いて御活躍成されその遺された

御功績は正に全民族派の鏡で有ります。

先生が生涯を掛けて民族運動に挺身成されたその信念には只々敬服

するばかりで有ります。

私が駆け出しの頃、当塾初代の教育は勿論で有りますが、次賀先生と

共に日教組大会阻止や共産党打倒等掲げて全国各地を駆け巡り、

街頭演説等を聞きながら民族運動の勉強と姿勢等を見せて戴いたもの

です。

私が公安事件に関連して始めて逮捕されたのは、昭和51年1月23日、

滋賀県大津にて開催された日教組教研集会に対し全愛会議の

統一抗議活動へ参加をしたで有ります。

初代塾統と私は前夜より列車で現地入りし、全愛本部両に同乗をす

る為、集合地に於いて待機中、次賀先生がレンタカーにスピーカーの装

着準備をしながらも「まだ運転手の手配が出来無い」と御困りの様子

で有った為、急遽私が運転をする事と成り、初代も同乗して街宣活動を

行っていたが、不慣れな他県活動の為、私同様に規定コースから外れた

全愛加盟の街宣車(30台程)が、何時の間にか私に続いており、気が

付くと先導車両と成っていた。                            山口県下関市綾羅木町「中山神社」にて

その車列のまま会場周辺で街宣を行っていたが、滋賀県警の機動隊が

封鎖する教研集会入口前の阻止線に差し掛かり、日教組粉砕を叫ぶ街宣車両が抗議と突入を幾度となく図った為、警備当局が警告と街宣中止命令を発したが、しかし国賊「日教組」を眼の前にして我々民族派も引く事は出来ず、ついには警備当局との衝突にまで発展した。

又、福岡県警より派遣され当方に張り付いていた警部補は、顔に怪我をしながらも機動隊と私の間に割り込む等、双方の引き離しを試みたが、挺団の先導車両で有った私と中山氏(日本革新党)二名が事件の首謀者として、その場で現行犯逮捕された。

今、思い起こせば、現場に残された次賀先生や初代(共に無免許)は、その後車両の移動をどうしたのだろうか?今頃気付いても遅いのだが…。

その事件に関連して逮捕され、同じ留置場内で知り合ったのが、一誠会々長渡辺謙二氏(全愛関東地区長)で、以来、今でも懇意にして戴いている。私はそれから数日間拘留された後、略式罰金で滋賀県警察署を釈放されたので翌朝に帰路へ就いた。

話は戻るが、初代が友好提携団体として青論社及び治安確立同志会藤原清隆氏(福岡)並びに、愛国党・生野英信氏(福岡)や日本青年社・富樫長吉氏(大分)等々の先輩諸氏と共に数々の街宣活動に御一緒させて戴き、民族運動の真意と御教導戴いたからこそ、今の私が有るのだと心から感謝をする至第で有ります。

又、今から十五年以上にも遡るが、北九州民族協議会が主催し、福岡県筑豊地区の団体も特別参加をした福岡県豊前市求菩提山(修練場)での、一泊二日の合宿訓練で次賀先生が教官を勤められ、民族運動に付いての勉強会や国民儀礼の作法と部隊指揮等、沢山の御指導を戴いた全てが、今でも私の中に息付いており、現在私が「団体会派」を越えて、毎年開催している勉強会「青年思想研修会」は、正に次賀先生より御指導を戴いた求菩提山での合宿訓練が原点と手本で有ります。

昨年九月の合宿予定を前にして福岡県鞍手郡若宮町にて開催した「福教組委員長と民族派団体」の討論会々場にて次賀先生とお会をした折り「今度、求菩提山で先生より教えて戴いた民族派とは何か?の勉強会及び隊列指揮訓練等を行います。」と御報告を申し上げた折り、先生は「懐かしいな。そう言う事も有ったなァ」と微笑んで居られました。

その後、同年6月に福岡県大牟田市で開催された「全愛九州地区定例会」にて、お顔を拝見した折りに「会議には電車で来た。」と話された次賀先生のお顔等、健康が勝れ無い様子なので「帰りは御自宅へ御送り致しましょうか?」と訪ねると地元の団体が送って下さるとの事でその場で別れましたが、私に取って、それが先生との最後の言葉に成るとは思ってもみませんでした。

先生が民族運動を通じて我々後進に対して御指導成された御生前の言魂は、九州民族青年会議の方々を始め、先生と関わりが深かった各民族派「同憂同志」の魂の中で、今後も脈々と生き続ける事と確信を致します。

又、次賀先生がその生涯を通じて信念と成された「尊皇愛国」天皇を中心とした国体護持の精神及び御遺志は、残された我々が必ずや継承邁進する事を誓うもので、先生との永久の別れに際し、この言葉を以て、偉大成る民族派の先駆者で在られた、憂国烈士「次賀國男大人之命」の御霊が安らかに眠られる事を心から御祈念申し上げて、私の哀悼の言葉と致します。

 

平成十六年三月十四日 合唱