「宣戦布告」                      殉国青年塾 塾統 寺岡  誠
李明博(南朝鮮代表)が「今の日本は国際的にも大した位置に無い」と愚弄した上、本年八月十日午後二時、日本政府の中止要求を無視し「竹島」の上陸を強行した。
 更に日韓試合後に朴鍾佑(パクチョンウ)選手が「竹島(独島)は我が領土」とのボードを掲げ、オリンピック委員会がメダル剥奪を示唆した事で、韓国サッカー協会が「日本には謝罪をしない」との発言が問題化した同月十四日、地方視察の会合で教育関係者に竹島上陸の真意を尋ねられた李代表は「思いつきでは無く、二〜三年前から考えていた」「深い配慮とこの様な副作用が有りうる点は承知、日本が立場をキチンと理解出来ないでいるので目を覚まさせようとしている」と、マスコミを前に竹島強奪を正当化する妄言を吐いた。
 又「天皇陛下が韓国を訪問したがっているが独立運動をして亡くなった方達を尋ねて、心から謝罪すると言うならいいのだが、痛惜の念だとか、こんな単語一つで来ると言うなら来る必要は無い」等と陛下を侮辱した。
 何ら質問もない陛下の「お言葉」に自ら言及する等、李明博は明らかに反日の確信犯で有り、一国の代表発言として品位に欠けるばかりか、責任は重大で断じて許し難い。
 李の軽挙妄動は我が国の主権を侵害し、更に国家元首「天皇陛下」を侮辱した暴言で、正に我が国への宣戦布告に等しくその代償は大きい。
 竹島は国際法並び歴史的史実に照らし合わせても我が国固有の領土で有る事は明白で有り、前の大戦後、暫定処置として日本と朝鮮との中間地点にマッカーサー元帥が一時的境界線を設置した。
 その後サンフランシスコ講和条約に基づき、平和条約締結後、暫定処置が解消され、日・朝間の境界線は大戦前に戻す事が決まっていた三ヶ月前の昭和二十七年一月、突然、李承晩(当時の代表)が暫定境界線(マッカーサーライン)を一方的に「李ライン」と宣言し、それ以降、竹島に近付く島根県漁民の銃殺や拿捕、強制連行を繰り返した為、我が国は昭和二十九年九月二十五日、国際司法裁判で決着付けようと南朝鮮へ提案をした。
 だが南朝鮮は不同意で無視し、同年十月二十八日、重武装の警察官十二名を竹島に不当上陸させ武装占拠した。
  更に独島と名付け、歴史の捏造と史実を歪曲し、自国民までも欺いて反日感情を煽る等、国際法を無視し58年に渡り不法占拠を続けている。
 戦前は西欧諸国の植民地として奴隷化されていたのを日本が解放し、朝鮮側の要望で日本が膨大な資金を拠出して近代化への道を切り開いたにも関わらず恩を仇で返すばかりか、国際法や社会ルールが理解出来ない程、無知で破廉恥な国だとさらけ出している事に気付かない愚かな国で有る。
  我が国は同じ自由陣営の隣国として、背後に有るテロ国家「北朝鮮」や共産国家「中国」の侵略阻止に協力をして来たが、南朝鮮は逆に事有る度に反日デモを扇動するばかりか、昨今は公館「日本大使館」前に下品な像の設置を容認して我が国を侮辱する等、正にこの国には礼儀や恥と言う概念が無いので有ろう。
  これまで我が国は竹島問題を抱え乍も、南朝鮮との友好関係を構築しようと我慢を重ねて来たが
今回の上陸と天皇陛下侮辱発言は日本民族の誇りを傷付けた上、我々日本人の中に脈々と受け継がれて来た大和魂と武士道精神を覚醒させた。
 李明博は国民目線を身内の汚職事件から反らす目的で竹島や陛下
の名を安易に利用したが、今回の言動に必ず後悔する結末を迎える
で有ろう。
 李明博の愚行で、日・南朝間には深い亀裂が生じ、
信頼関係は最早、修復不可能なまでに崩壊した事を知る可きで有る。
  南朝鮮は直ちに国際司法裁判所提訴に同意を表明し、今回の主権
侵害と不敬発言に対し、即時謝罪をすべきで有る。
 さも無くば誇りを傷付けられ、陛下を侮辱されて目覚めた獅子の怒り
は、頂点に達しており、自国民の支持率を狙う為の演出等と言う詭弁は
最早、大和民族には通用しない事を李明博と南朝鮮は悟る可きで有る。
竹島は我国固有の領土である