三日目(11日)も早朝より同様の抗議放送を「守根号」に対して、両岸依り一斉に開始した。
更に業を煮やした私(寺岡 誠)が、小型船舶を用意して同貨物船に対し、直接行動を決行すると警告を街宣車のマイクを通して発した事に依り、現場は騒然と成り、一気に緊迫状態と成った。
海保の責任者が駆け寄り、貨物船側を説得するから早まった行動は取らない様にと、私を押し止めに来た。
その後、巡視艇が我々と貨物船側とを幾度と無く往復して交渉に当たり右翼団体の強行姿勢は変わらないとの言葉を貨物船の船長に伝え、更に「同船をこのまま係留し続けた場合は不測の事態が予想されるので、我々当局も全乗組員の生命の保障は困難で有るから一旦引き返す様にと、船長を説得中で有る。」と、海保責任者が我々に連絡をして来た。
しかし我々は納得がいかず、抗議の声を止める事無く、両岸壁から守根号(北朝鮮貨物船)に対し、乗組員の即時釈放と松生丸の返還を求め、要求が実現するまでは荷揚げと船員の上陸は絶対に阻止すると強く抗議を繰り返した。
そうする中で始めて動きが出た、昼過ぎに成って海保責任者から「貨物船が北朝鮮へ引き返すと言っている」と連絡をして来た。
直ぐ様、その事を全団体に伝令を出して見守る中、貨物船は向きを変え、巡視艇三隻に警衛されて湾外へ出て行った。
◎解決
我々民族派が結束し、三昼夜に及ぶ逮捕覚悟の抗議行動で北朝鮮の貨物船を追い返した瞬間で有る。
その事件に依り、北朝鮮の貨物船が被った三日間の停泊港湾使用料等の損害金額三百万円(当時の額)をSK本社に対し、請求をすると翌日の朝刊で大きく報道された。
此の「守根号」引き揚げの翌日(12日)、北朝鮮は保釈金二万ドルの支払いを条件に田川船長並びに負傷した船員等を釈放し、無実にも関らず一方的に銃殺された無念の船員も遺族の待つ佐賀県呼子港へ十四日帰港した。
帰国直後、船長は「此の国には正義と言うものが有るのか!」と口をよがませて、「死んだ二人に代われるものなら代わりたかった」と男泣きに泣き、悲痛な面持ちで記者会見に望んだ。