御皇室問題「皇太子様の御発言」
寺岡 誠
今回、皇太子様が雅子様の御病気に対する御心境を述べられた訳ですが、湯浅宮内庁長官等の事務的な人格否定と傲慢な態度に精神的な苦痛を感じられ病に伏して居られ、御皇室の考え方と事務方の意見の相違を皇太子様が雅子妃殿下を心配される余り、今回の発言と為られたと思われ、両殿下の御心境を察するに、余りにも御気の毒に思います。
特に雅子妃殿下は、御皇室へ入られる前での外交面での感性と実力は素晴らしい物をお持ちで有り、それを活かして対外交流を深める事も、国家に取っては重要な役割で有り、我国建国来、重視して来た御皇室の公式行事で有る事も歴史が証明をしています。
その反面、宮内庁事務方の考えで有る「皇位継承問題」の重視も現行法上に照らしては、非常に深刻な問題で有る事も確かでは有ります。
つまり、御皇室と宮内庁の悩まれている問題の根本的な要因は現憲法の条文に有るのです。
本来、御皇室問題を憲法で規制をすること自体が異常で有って、正しく不敬な事で有りますが、問題の解決を目指そうとするならば条文改正も広い目で視野に置く事も一つの選択肢と成るかも知れません。
しかし今回、湯浅長官の皇太子様への接見要請は誠に非礼で有り、宮内庁側は誤解が生じた行為に対し、先ず天皇家へ謝罪を申し上げて、その後に拝聴の席を賜るのが、天皇家に仕える者「宮内庁職員」の勤めで有り、道筋ではないだろうか。
永年の宮内庁側の慣習「皇室を影で支えている。」との横柄な態度が今回表面化した訳で、宮家以外から天皇家へ嫁がれて来られ、我々には想像も出来ないほどの御苦労を成されていた妃殿下に対し、宮内庁役人の心無い事務的な接し方に心を痛められのではと、御推察を申し上げます。
今回の皇太子様の御発言は、御皇室と宮内庁側との心の行き違いと信頼関係が、完全に損なわれていたからこそ発生した問題で有って、皇太子様の御発言に対し「帰国後、真意を確かめたい。」等とテレビで平然と言い放つ湯浅長官の高慢な態度は下克上的発言で有り、こうした高慢な姿勢は宮内庁全職員の日頃からの御皇室に接する態度と取られても仕方が無いであろう。
即刻、湯浅長官等高官の辞職又は更迭をすべきで有って、又それを任命した内閣の監督責任も重大で有る。
しかし、今回双方の発言は既に国民へも波紋が広がってしまった問題でも有るので、こうした難しい難問から引責を以って逃避するのでは無く、天皇家及び皇太子様に対し、二度と此の様な非礼な問題で御悩みに成られる事の無き様に、政府及び関係省庁は早期解決へ向けて責任有る対応策を講じるべきで有る。
又、天皇家に内親王様(皇太孫殿下)が御誕生に成られ、皇太子様には親王様(皇子)が現在居られない事も国民は誰しもが承知で有り、今回の皇太子様の御発言の影には「皇位継承問題」を現憲法を重んじるばかりに宮内庁事務方の焦りと思惑が複雑に絡み、表面化した事も確かで有ります。
今回の問題とする要因は直系皇子の優先順位を持たせた「皇位継承問題」の条文に起因する訳で有って、これを内親王様へも当てはまる様にと、条文改正論議が「愛子様」の御誕生を機に現在飛び交ってますが、それは天皇の本質を知らずして、事勿れ主義の無責任な発言で有ります。
改正論議を行う前に先ず天皇とは何か?そして御存在の意義を国民に知らしめる事が先決で有って、惟単に家督相続の改正を行う程度の論議で施行しようとするのでは、国民には御皇室と天皇の御存在の意義を真摯に伝える事には成らず、我国建国来の皇室を中心と栄えて来た歴史的背景や君民融和の深い信頼関係で支えられて来た、伝統文化への理解と支持を得る事には決して繋がりません。
敷いては御皇室の御存在が希薄と成って将来に於いては存続すら危うく為りかねません。
依って、今回の問題を機会に御皇室と国民の関係や歴史的な繋がり等を国民教育過程に取り入れて、米国占領統治前までの建国来継承されて来た本来の日本の姿に戻すべきで有ります。