故、三島由紀夫氏の決行主旨は国家の治安を左翼の過激派「国家転覆集団」に右往左往させられている警察当局に頼るのでは無く、国家最高の実戦力を保持するプロ集団「自衛隊」に治安出動を委ねるが最良とし、それを実施させるには現行法上違憲の「自衛隊」では不可能で有り、建軍の正統軍隊として認めさせる為、自衛隊の蜂起に依って「憲法改正」を要求する以外に方法は無く、民意が反映される国会の「憲法論争」に期待をしていては、永遠に自衛隊法の改正は困難で有ると結論着いたので有る。
三島事件は「楯の会」隊長、故、三島由紀夫氏(46才)
を始めとし、第一班長の故、森田必勝氏(25才)・第四
班長、小賀正義氏(23才)・会員、古賀浩靖氏(23才)
と小川正洋氏(22才)の五名により決行された。
故、三島由紀夫氏は「楯の会」発足以前より「神武建」
以来の我が国の文化と伝統を尊重すると同時に、日本文
化と歴史・伝統の中心は「天皇」で有って、国体を護持
すると言う事は、即ち「天皇」を絶対に守護するとの決
意と確たる信念を持つべきで有ると主張。
その顕現を目指す為には、ヤルタ・ポツダム体制で変革
させられた現下を打破し、天皇を日本民族の中心「主権
者」と鎮座を戴く国家建設を目指すと共に、祖国を防衛
する為には現状違憲の自衛隊では不安定で有り、直ちに
国際現状に適応する国軍を創設すべきで有ると、亡国現
行憲法の改正を激しく主張した。
更に「中・ソ」共産主義勢力の間接的な日本侵略に対処する為、自己の主義思想に共鳴する学生等の若者を集めて民間防衛組織として「楯の会」を昭和四十三年四月に結成した。又、「楯の会」の綱領を実践すべく、共に愛国の同志として信頼をする自衛隊に思いを馳せ、会員を体験入隊させる等の精神鍛練を繰り返すと同時に「機会が到来すれば自衛隊を正規の国軍とする為、訴えて蜂起を促す!」との計画を立案した。
目的は現憲法破棄と国防軍の創設を目指し、更に国民へも覚醒を促す為、社会に一大衝撃を与え、それに依って自己(故、三島由紀夫氏)の考える新しい日本の建設に努力する者が現れ、後に「昭和維新の断行」が続く事を純粋に信じ、最終結末として吉田松蔭の玉砕思想(自己完結・切腹・魂の爆発)を以って「三島精神」の継承者(純粋日本民族主義者)の出現を願いつつ「自衛隊蜂起」と「国家再建」を訴えて決起した戦後最大のクーデター未遂事件が「三島事件」で有る。
その「三島精神」の継承会として事件以降、毎年全国各地で「追悼式」が行われているが、北九州市に於いて民族派有志に依る「憂国忌」として挙行されたのは、昭和五十五年十一月二十五日、小倉北区中津口「ダンタニ紫水会館」に於いて、殉国青年塾総本部(北九州市)の呼び掛けに依り、大日本八紘会(北九州市)並び大日本政鈴会(山口県)を始めとする、九州及び山口・関西の民俗派四十六団体と有識者等、総数一0二名が参列して挙行された「憂国忌・十周年祭」並びに「十七周年祭」以来、今回が三度目で有る。
此処に改めて、三島由紀夫・森田必勝両憂国烈士の御霊に対し奉り「三島精神」の御遺志継承を御誓い申上げますと共に、心よりご冥福を御祈り申し上げます。