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2008年12月2日
COTTON CLUB U

2005年9月21日(水)     pm9:40
 
ギターを車に取りに行ってCOTTON CLUB に戻ってみると、すでにライブが始まっていたのだが
キラー・レイ・アリソンとは別の男が演奏していた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彼はキラーレイの友人のようで、オープニングアクト扱いで演奏しているようだった。
彼の名をChainsaw Dupont といって、後で本人と話していて聞いたのだが
かつて日本にも当時毎年冬に開催していたパークタワーブルースフェスに
フージア・ブルースというバンドで来日したことがあるらしい。
 
キラーレイに『ぼくはいつ演奏すれば良いのか』と聞いてみると
『この後だ どんなのをやるんだ?』 と質問され
『マディ・ウォータース等をややるんだけどそのときドラムを叩いてくれない?』 と大胆にも話してみたら
 
『もうドラムはやめたんだ、 今は歌とギターなんだ〜わるいな〜』 
とフランクにかわされたしまった。
 
 
Chainsaw のステージが終わり
3曲ほど自分の歌とギターがリードでステージに上がらせてもらったら
自分の予想以上に受けて観客が踊りだすという良い状態で演奏ができた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
こちらでは、みんな楽しければ普通に踊りだすというのにはもう、すっかり慣れていたので
自分の演奏曲を終えて、ギターをケースにしまってステージを降りようとすると
 
『おい なにやってんだ・・・?』  というキラーレイ の声が
 
『なにやってんだって、これからあなたのステージでしょ?』 というと
 
レイは『マディの曲がやりたくなった そのまま残ってギターを弾いてくれ!』
 
と言われその後のステージはなんと最後まで参加
(キラーレイがギターを弾く曲ではハーモニカを吹く)
 
 

 
マディ・ウォータースの曲は、結局前に自分のセットで演奏した
『ロングディスタンスコール』をこのセットでも彼の歌で演奏したのだが
歌詞が彼の方がうる覚えだったのが逆に茶目っ気があっておもしろかった。
 
 
しかしキラーレイと演奏した印象はブルースの曲、ソウルの曲を問わず
歌もギターもフィーリングが今まで演奏したどのシカゴのミュージシャンよりも
ドス黒く、切れ味が刃物でいうとナタで一振りしたような、そんな感じだった!
 
 
キラーレイ・アリソン という名前も、きっとそんな彼の印象から
つけられたのかもしれない。
 
 
 
そう思わせるくらいのキラーぶりは、一緒に演奏させてもらって
理解が出来たような気がした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Posted by ohyeah at 17:57


2006年7月11日
SOULの大御所

2005年5月6日(金)  pm9:30



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この日は、ハウス オブ ブルースへ アル・グリーンをじつは観に行く予定にしてあったのだが
前々日に前売りを買おうと同所を訪れたところ65ドルというこちらでは、破格な高いチケットにもかかわらずソールド・アウト!(しかし日本にいま彼を呼んだらいったいいくらくらいになるんでしょう??チケット代は??^^)さすがソウルの大御所、これは日本からインターネットを使ってでも
GETしておくべきだったと反省しつつ、予定を変更してハルステットストリートにある老舗ブルースクラブにシカゴでは売れっ子アーティスト ヴァンス・ケリー のGIGに行くことにした。
4年ほどまえに当時43rd Stにあったころのチェッカーボードラウンジで、ジョン・プライマーのライブに飛び入りで演奏する彼をみたことがあるが、そのときも、タイロン・デイビスの曲を演奏していてソウルとブルースをミックスさせたサウンドが彼の持ち味のようだった。

この日は金曜ということもあり、店は人で溢れかえっていて、とりあえずセッションのタイミングをうかがおうと、このバンドでMCを担当しているMC エマニュエルと仲良くなり、ショウの2部に参加させてもらうことになった!

このときのセッションは、ヴァンスのアンプを借りたので彼以外のバンドとのセッションでこのメンバーなら何を演奏してもOKで、客も喜ぶのではと、スイート・ホーム・シカゴをプレイしたのだが、シャッフルのリズムが何かひとつ噛合わないようで、自分ななかでは納得できない演奏内容になった。
いわゆる日本で生まれたにもかかわらずクラッシックスタイルのシカゴシャッフルを求めた僕と、そこで生まれた彼らが世代的がすでににそのスタイルでの演奏していないということで生まれた複雑なギャップだったので、自分でいま冷静に考えてもなんともビミョウな結果だったが、
ヴァンスや遊びにきていたビリー・ブランチ&SOBのベーシストのニック・チャールズに
『You’re Great!! 』と真顔で言われたので、彼らには僕の意図は通じていて認めてくれているようだったし、MCエマニュエルは上機嫌で『Oh Yeah飲まないのか?』とビールをご馳走してくれた、そしてなによりもお客達の受けがよかったので、すぐに気を取り直せた。
そうこうしているうちに、ステージにはいつのまにか僕の斜め横で呑んでいたおっちゃんが歌っていた〜どこかで見た事がある顔?とおもっていたら なんと その人は オーティス・クレイだった!

アル・グリーンを見逃した夜にここで、思わぬ、もうひとりのSOULの大御所との出会いが♪
ステージを降りたあと、彼に今度はいつ日本に来てくれるのですか? と聞くと
『わからないな〜見当もつかないよ〜ガハハ〜』 と最後までにこやかなクレイ氏でした^^


しかしそこからちょうど1年を経た2006年7月にまたこの日本に来てくれるとは Mr.CLAY
まさにOH YEAH !! デス^^





Posted by ohyeah at 21:46


2006年6月4日
J.W.ウイリアムス




2005年  5/5(木)    pm10:30













この日はキングストンマインズでハウリン ウルフのバンドでピアノを弾いていたデトロイト ジュニアをシカゴの親友カーンたちと観たあとに、
むかいにあるブルースクラブ 『B.L.U.E.S.』にて
J.W.ウイリアムスのライブに行くことになっていた。

J.W.とは3年前と4年前に彼のステージに飛び入りさせてもらったことがあり、久しぶりに会えるのを楽しみにしていし、最近クリスチャンになったと聞いていたのでそちらもとても興味深かった。

店に入ると、まだリハーサル中のようで、ステージの方にすすんで行くと
『どうもー』という日本語が聞こえてきた!
今日のギターリストは、菊田俊介さんで『2日前に電話があって決まった』とのこと。
菊田さんはJ.W.のバンドにかつてギターリストとして在籍し
ココ・テイラーのバンドのギターリストとなった現在もスケジュールが許す範囲で、彼のバンドにも参加している模様だ。
とにかく菊田さんとの再会もうれしかった。
現在はシカゴにも日本人で修行しにくるプレイヤーは沢山いるのだが
現地に根を下ろしその地盤を作ってくれた菊田さんには感謝するばかりだ。


2セット目で、飛び入り参加をして、踊りだすお客さんもいてナカナカ受けてとても充実した時間になった。
そして日本にも早くこのような環境が、出来ると良いと想いつつ、帰国したときに、自分のやるべきことが、あたまの中で整理されたことを感じたシカゴの夜だった。
Posted by ohyeah at 11:19


2005年12月7日
ARTIE'S LOUNGE  Part U

5/2(月) pm11:00
 
マディ ウォータースのスローナンバー ロングディスタンスコール一曲だけの参加の予定のこの日のセッションはシカゴに来て最高の演奏にすることが出来た。
あとでビリーのバンドのギターリスト丸山実氏から「あんなスライドギターみたの久しぶりですよ」
といわれたくらいシカゴの伝統スタイルであるこの奏法をする人はすでに少ないらしい。
 
曲が終わってギターをバンドメンバーの丸山さんに渡そうとしたら右手の方からアリヨさんから
もう一曲と人差し指を立てていた。
結局この日は全部で4曲PLAY出来て、BESTのPLAYが出来た。
 
アメリカという国に住む人間はそれぞれ本当に良いか悪いかという価値観がすごくはっきりしている。
日本に住んでいるとどうしても他人の意見や空気に流されやすい傾向があるのだが、ここでは判断基準がとてもクリアに見えてならなかった。
この場合は悪かったら一曲でサヨウナラ、良かったら何曲でも! 
 
どうやら世界基準にパスできたようだ。
と同時にシカゴという街の懐の深さにあらためて感謝した夜でした。
 
 
サンズオブブルースのギターリスト 丸山みのる氏と
 

Posted by ohyeah at 21:24


2005年11月16日
ARTIE'S LOUNGE

5/2(月) pm10:00
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この夜はサウスサイド87thストリートにあるARTIE’Sにシカゴのトップハーピストのビリー ブランチのLiveに行った。
3年ほど前にこの店には来たことはあるが、近所の人達が集まってくるあのいい雰囲気は全くかわっていなかった。
 
着いてみると演奏はすでに始っていたが、当のビリー ブランチは不在。
聞いてみると、W.C.ハンディ アワードというブルースのグラミー賞のようなアワードに出席のために、この日は彼のバンドであるサンズ オブ ブルースの演奏となっていた。
このバンドには、日本人プレーヤーのピアニスト 有吉須美人氏とギターリスト 丸山実氏が在籍しており、ビリーが不在の演奏でもハイクォリティな演奏が繰り広げられてる。
1セットが終わって有吉さんにあとで演奏させてほしいと言うと、「今日は沢山演りたいやつがいるから一曲だけな!」といわれた。
こちらにきてから幸運にも1セットや2セット参加させてもらっていたので、少し残念におもえたが
なにもしないで帰るよりはいいなと思うことに。
 
2セット目が始って数曲してからステージに呼ばれて、やはりゲストのハーピストのバックを一曲やったあとに、僕が歌う順番がきて一曲だけなら自分がもっとも得意な曲でBestなパフォーマンスを見せようとおもってマディ ウォータースのスローブルースナンバーの「ロングディスタンスコール」を演奏することにした。
 
そしてぼくがスライドギターでイントロを始めると、再びそこにまるで空気のようにあのブルースの空間が拡がった!       
 
まさに OH〜YEAH〜な瞬間がまたやって来た!!
 
次回 PART U もお楽しみに!!
 

Posted by ohyeah at 21:44


2005年9月8日
BBキングの娘とセッション

5/1 pm10:30
 
BB KING の娘であるシャーリー キングとセッション出来ることになった僕は、チューニングを済ませるとすぐにステージに呼ばれた!
彼女がMCをしている間にギターをセッティングすることになったのだが、ギターアンプが一台しかないのでギターのトレンゾに「どうすんの?」と聞くと「ぼくはローインプットにつなぐから君は、ハイインプットにつないでくれ!あとはギターのボリュームで調整しよう」と謙虚に気を使ってくれた。
 
飛び入りの一曲目はスローブルースではじまった。
バンドはギター、ベース、ドラム、そしてぼくがギターとハープなのだが、リズムセクションがとてもタイトでわかりやすいのだ。
日本で演奏しているとまずありえないのだが、ここではまるで音の会話をしているように演奏がすすんで行く。
自分でいうのも変な話でおこがましいといわれるかもしれないが、このリズムにみちびかれて
自分の音が、CDのブルースアルバムで聞いてきたサウンドを自分の指から奏でられているのは
ほんとうにマジックを感じてしまった。
 
途中「Mojo Working」という曲でハープを吹いていたら、シャーリーが僕に歌を振ってくれて歌ったら客は大ウケだった!
さらに僕が調子にのって前列にあるテーブルに乗ってハープを吹くと目を丸くしていたっけ・・・・・

そうしているうちに1時間くらいの1セット目がアッという間に終了してしまっていた。
 
セットが終わってギターのトレンゾがすごくエキサイトしていて、彼のCDをくれたり、ブルースのマガジンをもらったり、明日 バディ・ガイ・レジェンドでセッションがあるから来いと御誘いを受けた。
でもこの日は、前日からほとんど寝ていない状態で朝から行動していてそろそろ深夜の1:00。連れの友人2人も含めて疲れがでてきていたので、そろそろ帰るとシャーリーに伝えると彼女は
すごく残念そうな顔をした。
「Oh Yeahもう一曲歌っていって、おねがい!」
この言葉で彼女が僕を本気でアプリシエイトしてくれてるようで本当にうれしかったー
 
ぼくも感謝をおかえしする意を込めて「スイートホームシカゴ」をPLAY
 
ほんとうに長い一日だったけど、最高の一日だった!!

 
 

Posted by ohyeah at 20:53


2005年8月25日
KING OF BLUESの娘とセッション

5/1 pm8:30
 
エルモア ジェイムスjrとセッションした店を出て僕達は、この日2件目のブルースクラブに着いた
Lee’Unleaded Blues にニューオーリンズ ボーを観るためだ。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ここでもあわよくばセッションできれば?とおもい店の扉を開けると、どうやら様子が違う。
ニューオーリンズ ボーのLiveはこの日はキャンセルで他のアーティストに変更になってしまっているようだ!
なにやら女性シンガーを中心にリハーサルをしているようである。
しかも着いたのがまだ早かったのか、客はガラガラ。 どうしよう〜 せっかくの時間を無駄にしたくないな〜?と考えているとその女性シンガーが近づいて話しかけてきた。
「私はシャーリー キング あなたたちどこから来たの?あーそう日本から〜。だれかこの中で
プレイヤーはいるの?  そう!あなたはギターリスト?歌も? ぜひやっていきなさいよ〜 」
すごく気さくに話しかけてくれて、しかもステージのはじめから弾かせてくれるみたいだ。
 
ぼくはすぐに車にギターを取りに戻った。
シャーリー キング???  なんか名前だけは聞いたことがあるな〜?
店にもどる時に、さりげなくドアマンに彼女のことを聞いてみると、 そのドアマンは
 
「お前、BB キングは知ってるだろ?」   もちろん! 
「彼女はBB キングの娘だよ !!」
 
エ〜 ! 今日は夕方のエルモアjr に続いてこんどは あの BB キングの娘とセッション
とは!!   連れの2人も大驚きだった。
 
ぼくのスイッチは、このときまさに完全オンになって、まさに Oh〜Yeah状態になって、この日の二度目のセッションに足ステージへと向っていた!
 
次回は シャーリーとの超絶セッションのレポートをお届けします。ご期待ください!!
 
 
 

Posted by ohyeah at 18:23


2005年8月15日
エルモア ジェイムスの息子とセッション PtU 

5/1 pm6:00
 
1回目のセッションが終わってエルモアバンドのメンバー達に連れられてエルモアJrに、ぼくは
挨拶しに行くことにした。
彼はあの有名なブルースマン 故エルモア ジェイムスの息子というのにもかかわらず、日本では、まったく無名に等しい。 しかも何人かの現地ミュージシャンにも、来る前に彼のことを聞いてみたら現地でも知られていないらしい。
某ミュージシャンに聞いた話だと「ほんとうはそうじゃないのに、名前を騙るヤツもいるからな〜」
ということである。
話は少しそれるが、ブルースレジェンドと呼ばれるミュージシャンにも、サニーボーイ ウイリアムソンU(ライス ミラー)のように、当時本物の本人が生きているにもかかわらず、自分のレコードを売りたいがために自分のクレジット名そしてアーティスト名までも、シカゴの売れっ子だったサニーボーイ ウイリアムソン(ジョン リー ウイリアムソン)の名前を頂戴してしまったという逸話があるくらいだ!(当時まだEPレコード全盛期でジャケットにはアーティストの写真は載っていなかった時代の話ではあるが)。しかし、そんなことはブルースの世界では日常茶飯事であるらしい。
 
店でドリンクを買いにカウンターに行こうとするとここのお客たちにも、さっきのセッションがGOOD JOBだったと沢山声を掛けられた。
エルモアJrを含めて、メンバーたちに自己紹介を終えると
ぼくは、ここで勇気をふりしぼり本人には失礼を承知の上で、ほんとうの息子なのかを確認することにした(日本のブルースファンたちのためにある意味、本当のことを知らせたい義務感もあった) 
 
彼の答えはただ 「YES!」   しかしそれはこのあと始る彼とのセッションでの彼のPlayがすべてを物語っていた。
 
ぼくは、このセッションではブルースハープを吹いた。
しかし彼の曲はほとんどオープンDというギターチューニングのために、残念なことに、この日
ぼくはそれに合ったハープを持ち合わせていなくて、しかたなく3rdポジション奏法というマイナー系の曲に合うハープの奏法で2曲ほど吹いていたのだが、合うはずもなく、あまり良い結果が得られなかったため潔く自らステージを降りることにした。
その曲間で、エルモアJrは、バンドのベーシストに「何故あの男は、ハープを吹くのをやめたのか?」 と聞いている。
事情をのみ込んだエルモアJrは「だったらギターで参加してくれ」と言ってくれた!!
 
ほんとうにこちらに来てからは、ミュージシャンたちみんなは、東洋の小さな島国から来た全く見ず知らずの自分に、素晴らしいとりなしをしてくれる。
真のミュージシャンシップとはこういうものだ、ということを僕は教えられたような気がした。
 
そしてエルモアJrのスライドギターは、まったく父親の音色とかわらない素晴らしいものだった!
 
ぼくは、20年前から追い求めていた、あのシカゴブルースのレコードの音の中に再び吸い込まれていくようなまさにそんな気分だった。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
次回は、サウスのほかの店に、場所を移して、今度は、あの「KING OF BLUES」の娘との
セッションレポートです。   お楽しみに!!!
 

Posted by ohyeah at 18:08


2005年8月7日
エルモア ジェイムスの息子とセッション

5/1 pm5:00

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
菊田さんとゲイリーで別れてから小1時間、ぼくらはシカゴサウスサイドのシンプソンズラウンジというジュークジョイント(日本でいう安酒を飲ませる一杯飲み屋みたいなところ)に伝説的ブルースマン エルモアジェイムスの息子が演奏するというので訪れた。
 
着くなり店員のお婆さんが話しかけてきた、   ハウバラ〜・・・・・・????
聞き返してよーく聞いてみると どうやら How abaout a one or five といっているようだった。
しかしいきなりそんなことを言われても、なにのことをいっているのやら?タカがあらためて聞き直すとどうやら、店のチャージシステムのことらしい。 1ドルで1時間ごとにチャージを払っていくのか、5ドルでずっと店にいるのかを聞きたかったらしい。
1ドルずつ払うことにして、しばらくすると、ある白人が、君たち何か楽器はPlayするのか?と問いかけてきた。  ぼくがVoとGをやっているというと、すぐにこの日のメンバーたちにセッションに混ぜてもらえるようにとりなしてくれた。
 
まだエルモアJrは登場していないようだったがバックであろうベースとドラムと僕でジミーロジャースの Blues Leave Me Alone というスローブルースをPlayした。
日本ではスローブルースをPlayするとウケナイ場所が多いのでやることも少なくなっていたが、
イントロを弾き始めると、歓声があがり、明らかにこの店の客達のぼくの見方がコイツ出来るなという目線に変わった。
そのときに僕は感じた。 このサウスサイドの空気の中で僕は初めてブルースというフィーリングの一部になれたということを!
 
 
次回 Pt U もお楽しみに!! 
 
 
 

Posted by ohyeah at 12:09