2009年9月1日
チェスレコード

2009年に、日本でも Chess Records を題材に した映画 『キャデラックレコード』
が公開されたので、 2005年当時に行った記憶を辿り書かせていただいた。
 
現在、Chess Records は
故ウィリー ディクソンのブルースヘブン財団が管理するブルースに関する博物館として存在している。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
BLUES HEAVEN FOUNDATON 公式Webサイト  
http://bluesheaven.com/
 
 
 
2005年から度々訪れていますが  営業時間に行っても閉まっているということが多く
電話などで、館内ツアーの予約を取っていったほうが確実とおもわれます。
 
 
こちらが正面入り口  映画で見るより かなり表玄関は 小さめです。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
館内入るとこんなかんじ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
館内ツアーで案内された  当時 のAMPEX社製 の レコーダー
ただし 他の録音機材類はデルマークレコードなどに売却されて
残っていないのか、観る事が出来なかった。 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ウイリー ディクソン のデスマスク 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
こちらは建物のすぐ横にある ブルースガーデン と呼ばれる庭 
一番奥に ステージがあり、おもにサマーシーズンに ライブが行なわれている。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
当時は こんなラインナップが 演奏していた。

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Posted by ohyeah at 22:32


2008年12月2日
COTTON CLUB U

2005年9月21日(水)     pm9:40
 
ギターを車に取りに行ってCOTTON CLUB に戻ってみると、すでにライブが始まっていたのだが
キラー・レイ・アリソンとは別の男が演奏していた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彼はキラーレイの友人のようで、オープニングアクト扱いで演奏しているようだった。
彼の名をChainsaw Dupont といって、後で本人と話していて聞いたのだが
かつて日本にも当時毎年冬に開催していたパークタワーブルースフェスに
フージア・ブルースというバンドで来日したことがあるらしい。
 
キラーレイに『ぼくはいつ演奏すれば良いのか』と聞いてみると
『この後だ どんなのをやるんだ?』 と質問され
『マディ・ウォータース等をややるんだけどそのときドラムを叩いてくれない?』 と大胆にも話してみたら
 
『もうドラムはやめたんだ、 今は歌とギターなんだ〜わるいな〜』 
とフランクにかわされたしまった。
 
 
Chainsaw のステージが終わり
3曲ほど自分の歌とギターがリードでステージに上がらせてもらったら
自分の予想以上に受けて観客が踊りだすという良い状態で演奏ができた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
こちらでは、みんな楽しければ普通に踊りだすというのにはもう、すっかり慣れていたので
自分の演奏曲を終えて、ギターをケースにしまってステージを降りようとすると
 
『おい なにやってんだ・・・?』  というキラーレイ の声が
 
『なにやってんだって、これからあなたのステージでしょ?』 というと
 
レイは『マディの曲がやりたくなった そのまま残ってギターを弾いてくれ!』
 
と言われその後のステージはなんと最後まで参加
(キラーレイがギターを弾く曲ではハーモニカを吹く)
 
 

 
マディ・ウォータースの曲は、結局前に自分のセットで演奏した
『ロングディスタンスコール』をこのセットでも彼の歌で演奏したのだが
歌詞が彼の方がうる覚えだったのが逆に茶目っ気があっておもしろかった。
 
 
しかしキラーレイと演奏した印象はブルースの曲、ソウルの曲を問わず
歌もギターもフィーリングが今まで演奏したどのシカゴのミュージシャンよりも
ドス黒く、切れ味が刃物でいうとナタで一振りしたような、そんな感じだった!
 
 
キラーレイ・アリソン という名前も、きっとそんな彼の印象から
つけられたのかもしれない。
 
 
 
そう思わせるくらいのキラーぶりは、一緒に演奏させてもらって
理解が出来たような気がした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Posted by ohyeah at 17:57


2006年12月3日
COTTON CLUB

2005年9月21日(水)     pm9:00

 
この日は行くはずだったライブがキャンセルになっていたので、サウスサイドのミシガンストリートにあるコットンクラブに行ってみた。
 
ここはサウスの中でも高級なクラブで以前に
一度来たことがあるが、この日は演奏があるのは聞いていたが、誰が演奏しているのかは全く分らなかったので、店の入場口で聞いてみると
『今日はキラー レイだ”!』  と言われ、
キラーレイって マディ ウォータースやジェイムス コットンのバンドでドラムを叩いていた
 ‘Keller Ray Allison‘‘????  と聞くと彼は
『そうだよ、すぐそこにいるから入っていきなよ〜』 といわれ歩いていくと2メートルくらいある大男がいた!
レイ アリソンは、ここ数年はドラムからヴォーカルとギターに転向してフロントマンとしてシカゴで活動しているそうだ。
誰かのアルバムのジャケットでみたキラー レイは、いかにも犯罪をおかしそうな(失礼)こわそ〜なイメージしか僕にはなかったが、実際に話してみると、とてもナイスガイで、あとで一緒に演奏させてもらえないかと尋ねると『もちろんだ』 と答えてくれた。
 
 
僕はさっそくギターを車に取りにいったのだが
何かとても楽しい夜になりそうなそんな予感がした!♪
 

 

 

Posted by ohyeah at 17:52


2006年8月15日
マクスウェルストリートとポーリッシュソーセージ

2005年 9月18日(金)  pm3:00

 
 
この日はダウンタウンの西側にあるマクスウェルストリート近くのホットドック屋にポーリッシュソーセージを食べに行った。
ポーリッシュソーセージとは、いわゆるポーランド移民たちが食べていたふつうより塩辛く極太のソーセージをパンに挟みホットドックの形式で売られている食べ物で、シカゴではファストフードの店ではいたるところで売られている。
老舗のこの店では、フレンチフライポテトも付いて2ドル半ばの当時激安で、しかもよくベイクされたオニオンとチリもはさまっていてまさに僕の
大好物なのである^^
 
マクスウェルストリートといっても、そこにかつて伝説的ブルースマンたちがストリートで演奏したり、マーケットがあるわけではなく市の計画によりイリノイ大学シカゴ校の敷地として再開発され数ブロックがおしゃれなフードコートのような場所として残っているのみである。
しかしその変わり様を見て寂しいというか、唖然というかとても複雑な気持ちになった。
 

 
2001年にこのあたりに初めて来たときには、再開発計画によってもうかなりストリート一帯は取り壊されてはいたが、いかにも危なそうな雰囲気と人達でブルースフィーリングに溢れていた。
ここに住んでいた人たちはいったいどこに行ってしまったんだろう?
そういえばいかにもゴスペルソングが聞こえてきそうな古い教会と、平日なのに昼から沢山の人たちが酒をあびるように飲んでるジュークジョイントがすぐ隣合せに建っているのを見て、ゴスペルとブルースが精神的に全く同じ地域の人たちの心の救済のために存在していることを、
はじめて知ったのもこの場所だった。
 
当時の僕にはその手段が違っても並んでいる2つの建物がここの人達には、同じシェルターの役割をしているんだなということが理解できた瞬間・・・・・・・。
もうあの風景はなくなってしまったけど唯一移転を繰り返しながら残ってた、このホットドック屋に来ると毎回こんなことを思ってしまう。
かつてのマクスウェルの写真を観るにはこちらを
http://www.maxwellstreetfoundation.org/
 
 
(現在毎日曜には、マクスウェルストリートマーケットは、名義のみは残され開催され数ブロック離れたキャナルストリートで行なわれている。近年はエルモア・ジェイムスJRなどが、マーケットのはずれでストリート演奏をしている)
 
 
 

Posted by ohyeah at 10:12


2006年7月11日
SOULの大御所

2005年5月6日(金)  pm9:30



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この日は、ハウス オブ ブルースへ アル・グリーンをじつは観に行く予定にしてあったのだが
前々日に前売りを買おうと同所を訪れたところ65ドルというこちらでは、破格な高いチケットにもかかわらずソールド・アウト!(しかし日本にいま彼を呼んだらいったいいくらくらいになるんでしょう??チケット代は??^^)さすがソウルの大御所、これは日本からインターネットを使ってでも
GETしておくべきだったと反省しつつ、予定を変更してハルステットストリートにある老舗ブルースクラブにシカゴでは売れっ子アーティスト ヴァンス・ケリー のGIGに行くことにした。
4年ほどまえに当時43rd Stにあったころのチェッカーボードラウンジで、ジョン・プライマーのライブに飛び入りで演奏する彼をみたことがあるが、そのときも、タイロン・デイビスの曲を演奏していてソウルとブルースをミックスさせたサウンドが彼の持ち味のようだった。

この日は金曜ということもあり、店は人で溢れかえっていて、とりあえずセッションのタイミングをうかがおうと、このバンドでMCを担当しているMC エマニュエルと仲良くなり、ショウの2部に参加させてもらうことになった!

このときのセッションは、ヴァンスのアンプを借りたので彼以外のバンドとのセッションでこのメンバーなら何を演奏してもOKで、客も喜ぶのではと、スイート・ホーム・シカゴをプレイしたのだが、シャッフルのリズムが何かひとつ噛合わないようで、自分ななかでは納得できない演奏内容になった。
いわゆる日本で生まれたにもかかわらずクラッシックスタイルのシカゴシャッフルを求めた僕と、そこで生まれた彼らが世代的がすでににそのスタイルでの演奏していないということで生まれた複雑なギャップだったので、自分でいま冷静に考えてもなんともビミョウな結果だったが、
ヴァンスや遊びにきていたビリー・ブランチ&SOBのベーシストのニック・チャールズに
『You’re Great!! 』と真顔で言われたので、彼らには僕の意図は通じていて認めてくれているようだったし、MCエマニュエルは上機嫌で『Oh Yeah飲まないのか?』とビールをご馳走してくれた、そしてなによりもお客達の受けがよかったので、すぐに気を取り直せた。
そうこうしているうちに、ステージにはいつのまにか僕の斜め横で呑んでいたおっちゃんが歌っていた〜どこかで見た事がある顔?とおもっていたら なんと その人は オーティス・クレイだった!

アル・グリーンを見逃した夜にここで、思わぬ、もうひとりのSOULの大御所との出会いが♪
ステージを降りたあと、彼に今度はいつ日本に来てくれるのですか? と聞くと
『わからないな〜見当もつかないよ〜ガハハ〜』 と最後までにこやかなクレイ氏でした^^


しかしそこからちょうど1年を経た2006年7月にまたこの日本に来てくれるとは Mr.CLAY
まさにOH YEAH !! デス^^





Posted by ohyeah at 21:46


2006年6月4日
J.W.ウイリアムス




2005年  5/5(木)    pm10:30













この日はキングストンマインズでハウリン ウルフのバンドでピアノを弾いていたデトロイト ジュニアをシカゴの親友カーンたちと観たあとに、
むかいにあるブルースクラブ 『B.L.U.E.S.』にて
J.W.ウイリアムスのライブに行くことになっていた。

J.W.とは3年前と4年前に彼のステージに飛び入りさせてもらったことがあり、久しぶりに会えるのを楽しみにしていし、最近クリスチャンになったと聞いていたのでそちらもとても興味深かった。

店に入ると、まだリハーサル中のようで、ステージの方にすすんで行くと
『どうもー』という日本語が聞こえてきた!
今日のギターリストは、菊田俊介さんで『2日前に電話があって決まった』とのこと。
菊田さんはJ.W.のバンドにかつてギターリストとして在籍し
ココ・テイラーのバンドのギターリストとなった現在もスケジュールが許す範囲で、彼のバンドにも参加している模様だ。
とにかく菊田さんとの再会もうれしかった。
現在はシカゴにも日本人で修行しにくるプレイヤーは沢山いるのだが
現地に根を下ろしその地盤を作ってくれた菊田さんには感謝するばかりだ。


2セット目で、飛び入り参加をして、踊りだすお客さんもいてナカナカ受けてとても充実した時間になった。
そして日本にも早くこのような環境が、出来ると良いと想いつつ、帰国したときに、自分のやるべきことが、あたまの中で整理されたことを感じたシカゴの夜だった。
Posted by ohyeah at 11:19


2006年4月22日
シカゴウエストサイド U


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2005年  5/4(水)    pm8:30
 
ガーフィールド パーク ソシアルクラブという名のその jook joint は僕が今までに得てきた
ブルースという音楽ジャンルの知識の中での想像上のジュークジョイントにまさにあてはまる場所だった!
この店はシカゴの情報誌 Chicago Readerのライブスケジュールにも掲載されていないので
おそらくこの地域の人以外は、地元シカゴの人達でも知らないだろう、とにかく危険な香りがプンプン漂っていた。
このような地域のコミュにティの人だけしかしらない、音楽を提供しているバースポットは、ここの
ブラックコミュニティには、相当あるとおもわれるが、とにかく他のいままでに行ってきた店と比べても全くレベルが違うくらいに、ラフでディープな世界だった。
まず店のたたずまいは無論、お客の雰囲気が、まさにクスリでもやっているのかとおもうくらいに
ダウンな感じがして、いつトラブルがそこに起こってもおかしくないような雰囲気が全体を包んでいた。
 
ここにはノースサイドや、そしていままでに行ってきたサウスサイドの数店のクラブにもない、ブルースの現場の原風景をそこに見たような気がしている。
怖さを感じながらも、せっかく来たのだから、数曲セッションさせてもらい、ほんとうならカメラを店の客にカメラを渡して演奏写真を撮ってもらいたかったのだが、さすがにこの店だけは用心を重ねてそれはせずに残念ながらセッションのシーンはお見せできないのだが、僕の脳裏と体には
すご−い深いブルースフィーリングがこの場所を通して刻まれているような気がいまだにしている

 
 

Posted by ohyeah at 19:44


2006年3月8日
シカゴウエストサイド


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2005年  5/4(水)    pm7:30
 
この日はシカゴウエストサイドにあるブルースクラブ<Bossman blues center>に車を走らせた。
到着して車を降りて辺りを見回すと、明らかにヤバイ雰囲気だ!
これはいままで行ってきたサウスサイドの店のエリアが変な言い方だが、かわいらしく思えるくらいチョッと怖い雰囲気だった。
 
店に入ると、この日のライブはリトル・スコッティというアーティストが出ていると聞いて来て見たのだが、またしてもキャンセルだそうな〜さすがに僕もこちらの流儀に馴れたのか確認の連絡をしなかったから仕方ないな〜 と諦めて帰ろうとおもったら、店の小柄なオーナーが「お前が弾いてくれ!」とおもむろに店のギターを渡されて、PAをセッティングし始めた。
結局そこから自分の弾き語り即興ライブが始ってしまった・・・・・・。
客の一人はどうやらブルースマンのジョニー・ダラーらしい。
 
3曲くらい演奏して店のオーナーからはとても感謝されてよろこばれたが、この日は早々に退散することにして車にもどることにした。
もう帰ろう、とギターをトランクに積んだら、なにやら隣の店からブルースらしきサウンドが・・・?
まるで磁石やブラックホールに引きずり込まれるように、僕はその店に吸い込まれていってしまった!!
 
その店の名はガーフィールドパーク・ソシアルクラブ
そこはさらに怪しい こここそまさに jook joint  だった!!
 
 
次回 パートUもお楽しみに。
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Posted by ohyeah at 19:47


2006年2月9日
J.T.’S OLD DUSTY’S RECORDS PratU

2005年 5/4(水) pm4:00
 
この店でCDを探していて気が付いたのは、日本のCD屋のブルースコーナーに並んでいるラインナップとまったくラインナップがちがっていたことで(もちろんスタンダードなブルースレジェンドたちは例外だが)日本ではあまり取り上げられていないミュージシャンがかなり置いてある。
これには結構驚いたのだが、こう考えてみるとブルースというジャンルの音楽が
現地のアフロアメリカンがとらえているものと(ソウルミュージックやその他の音楽とミックスされたものもその一部として観ている)、われわれ日本人を含む非黒人のとらえているブルースミュージック(いわゆる12小節の定型ブルース)が今現在相当のギャップがあるように思えてとれた。
 
すでに世界的にCDアイテムが流通されているブルースという音楽が人種間の好みの差があるとはいえ、ここまで現場で置いてある商品がちがうとは、いままでどれだけ自分がメディアにおどらされていたかが分かった瞬間でもあった!
 
この日は、すごくたくさんの興味深いCDやレコードがあり、かなりの枚数を買ったのだが、ここのオーナーで元ブルースミュージシャンの ジョニー ツイストがとても喜んでくれて、ミュージアムと称する店の地下室にある彼のコレクションを見せてくれた。
とても一日では観きれない膨大な宝の山で、残念ながら数分しかみられなかったが信用してくれて自分のコレクションをみせてくれたことがとても僕はうれしかった。
 
店を出ると、ブルースDJと名乗るFATなオッちゃんが声を掛けてくれて、彼の車のトランクを開けるとウーハーが載ったDJセットがあり、彼や近所の人たちとステッピン・ダンスを踊り始めたころには、シカゴサウスサイドはすでに夕暮れ時が近づいていた頃でした!^^♪♪
 

 

Posted by ohyeah at 19:50


2006年1月9日
J.T.’S OLD DUSTY’S RECORDS


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2005年 5/4(水) pm2:00
 
この日の昼は菊田さんと小田さんにおしえてもらったシカゴサウスサイドあるレコード屋で映画 「Love Jones」の撮影にも使われた JT's OLD DUSTY's RECORDS  にCDを探しに行った。
まず店にはいると以前のブログでもお伝えしたように、店員の<何しに来たんだ・・お前・・??>
という感じの空気が流れたので、ここでもあらためて日本から来てブルースが好きなのでCDを探しているというと、いかにもブルースマンってかんじの店員は、じゃあこっちに来いと付き添いでCDを探し始めてくれた。(よそ者なのであきらかに信用していないのは分かっていたが)
 
CDを探し始めておもったのは、値段が安いかわりにCDケースが割れていたり掃除をしていないのかCDがホコリをかぶったまま売られていたりと、日本のCD屋では考えられないいい加減さだった(こんなラフさもシカゴサウスらしいというかなんというか??)
 
聞くところによると、ダスティ=埃っぽい この店の名前のDustyというのは、黒人たちのスラングでは、家の中で埃まみれになっている昔のヒットソングのレコードのことを指していて、いわゆる
日本でいう懐メロのような意味で使われているらしい。
 
そうかんがえると、日本ではみつかりそうにない、すごい掘り出しもののレコードやCDが見つかりそうな気がしてきてワクワクしていたそのときの Oh Yeahでした。
 
パートUにつづく !!!

Posted by ohyeah at 20:35