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日私小連講演記録1 鷲山龍太郎氏

豊かな自然への理解を育てる地学教育の創造
講師 

横浜市立新治養護学校
副校長
科学技術振興機構(JST)登録 
サイエンスレンジャー 

  鷲山龍太郎先生
 
 
 
 
 
今日、日本社会において、科学的常識に乏しい大人が増えていると言われている。算数や国語はできるが、理科は不得意とする、この現状の背景には、「学校で習ったことをほとんど忘れている。」「疑問を追及しようとしない。」「実物に触れようとしない。」このような状況がある。だとしたら、理科教育における「学力」とはどのようなものなのか。市販のテストで高得点を取らせることなのか。また高得点を取ることで、確かな学力が付いたと言えるのだろうか。科学的な基礎基本のついた大人象を考えてみると、次のような3点が言える。「学校で学んだことを応用して仕事や私生活を豊かにしている。」「自然についての疑問を追及しながら生涯にわたって科学的知識を深めている。」「実物に触れたり、体験をしたりすることを好む。」そのように考えると、ただテストで結果を出すことが、確かな学力を身につけさせることにはならない。理科において「学力」をつける、つまり「わかる」とはどういうことなのかと考えたときに、いくつかの要素がある。教科書の要約を黒板に書きなぐり、テストに結果を出すことは、『法則・論理として導き出したり、当てはめたりしてわかる』『ストーリーや言葉としてわかる』という要素を追求しているが、そこにとどまったものとなる。自然認識における本質的で重要な要素にとして、『立体的構造や目に見えないものをモデル化してわかる』『映像、イメージとしてわかる』『実際に触れてやってみてわかる』などがある。真に自然を『わかる』ことをもとめて、自然認識や授業展開について考えてみる。
 「毎日見ている地球の姿をどれほど説明できますか?」と質問して答えられる大人は少ない。なぜかこれは学校で習わずに大人になってしまうのが、現在の理科教育で、「地学教育」が不十分な部分である。『法則・論理として導き出したり、当てはめたりしてわかる』ことはできても、『実際に触れてやってみてわかる』ことを通してこれらを学べないのが現状である。
 例えば空気の重さなどは、感じることが中々できないが、大きな風船に空気を入れて、振り回してみると、遠心力によって、その重さを体験することができる。
 少量のスキムミルクを溶かした水に光を当てると、手前は青く、奥は赤く光る。青空と夕日の関係が太陽の距離に関係していることがわかる。
 水で濡れたペットボトルに栓をしたまま空気を入れていくと、圧力によってどんどん熱くなり水は水蒸気に変わる。ある程度の圧力をかけた後、栓を素早く取ると、急激に圧力が低くなり、温度も下がり、水蒸気だった水は、水の細かい粒に変わり雲のように見える。これにより、低気圧や高気圧などの説明もでき、雲のでき方も見せることができる。
 電球の明かりを背にして透明のビー玉を、目線にあわせて高く上げる。そして中を覗き込むとそこには虹が現れる。このように実験し体験できるものも多くある。
 小学校理科教育における地学分野の単元として「土地のつくりと変化」がある。この単元では、限られた実験だけでは説明がつかないので、『立体的構造や目に見えないものをモデル化してわかる』『映像、イメージとしてわかる』といった理解もあわせて授業を展開する。そこで今回は、CGにより作成した、火山噴火のメカニズムの説明や、三宅島査察の際の画像や、実際の地層の画像などを見せ、火山活動における地層生成について説明した。そして最後に実際の火山活動を再現するモデルを子どもに体験させる。模造紙に地元横浜から箱根や丹沢に渡る広範囲の地図を描き、その上に関東ローム層から取った土を細かく砕き、火山としてフィルムケースに入れてセットする。そこへ空気を送り込み爆発させる。そのとき偏西風としてうちわで風を吹かせると、土は風で飛ばされ広範囲に広がるさまが見られる。子ども達が自分たちの住む広大な土地が、火山噴火によってどのように作られてきたかを「わかる」ための大きな手助けとなる。

 理学博士の岡重文先生は次のように語っている。「地学とは多分に空想の産物なのです。」「地層の1m先、ましてや1km先は空想で地質図を作っているのです。」「新しい事実が出ると先輩の学説をエイヤエイヤと切っていくのが楽しいのです。」自然認識は多面的なものであり、一人一人が経験と思考を通して構築していくものである。言語的なとらえ以上に、時間的・空間的に見えない部分をモデル化し、それをとらえる力が核になっているのではないだろうか。モデル化してとらえる力を育てるには、十分な直接体験をもとに、見えない部分を自分なりに描いていく訓練や、抵抗無くそれができる支援が必要である。地学教育の充実は、今見ている郷土の風景の背後にある科学的な意味を、自分なりにモデルを作ることによって考え続ける力を育てるために重要なのである。
 

Posted by okada at 17:48