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2004年8月29日
日私小連講演記録2 水谷恒雄氏講演

2003年日本ホビーショー 文部科学大臣賞受賞記念講演
「“作る”ことから観察力を養う」
講師 水谷恒雄先生(清泉小学校)

 
 
 
 
 
 
先生は、ペーパークラフトで主に動植物を作っておられ、「作って遊ぼうペーパー工作」(ブテイック社)という本も出されている。
理科の授業とぺーパークラフト、一見全く違うもののようだが、同時に扱うことによって、子ども達が生き物にも手作りにも興味を示すようになるということであった。
そもそも水谷先生がペーパークラフトを始められたきっかけは、理科室に来るたびに子ども達にとって何か楽しみがあるように工夫できないかということからだった。
 理科の授業では、動植物を扱う単元も多く、どの学校でも虫嫌いの児童も少なくなく、そのような虫嫌いで触れないといっていた児童もペーパークラフトを触って戯れているうちに抵抗がなくなるということだった。
5年生で行われる「魚の誕生」の学習では、ぺーパークラフトでメダカを作らせ、しりびれを工夫して作ることによって雌雄の判別が確実になる。むなびれも絵で描き表すだけより作って貼り付けることによって、位置や枚数が明確になり、学習の理解がより深まる。また、実際に作ることによって、動植物の体のつくりをより深く知ろうとして、観察し、調べたりするようになる。例えば、トンボの足のつく位置、広がり、羽の模様など、実物により近づけようとすればするほど図鑑ではなく、実物を見るのが一番ということになる。その為に子ども達の観察意欲をかき立てることができるということであった。
とかく観察となると絵を描かせることが多い中、新たなる一石を投じてくださるお話だった。
 後半は、実際にぺーパークラフトでハイビスカスの花を作った。細かい作業に戸惑いながらも皆さん真剣に取り組み、1時間もたたないうちに机の上にはたくさんのハイビスカスの赤い花が咲き乱れていた。

 

Posted by okada at 17:55


日私小連講演記録1 鷲山龍太郎氏

豊かな自然への理解を育てる地学教育の創造
講師 

横浜市立新治養護学校
副校長
科学技術振興機構(JST)登録 
サイエンスレンジャー 

  鷲山龍太郎先生
 
 
 
 
 
今日、日本社会において、科学的常識に乏しい大人が増えていると言われている。算数や国語はできるが、理科は不得意とする、この現状の背景には、「学校で習ったことをほとんど忘れている。」「疑問を追及しようとしない。」「実物に触れようとしない。」このような状況がある。だとしたら、理科教育における「学力」とはどのようなものなのか。市販のテストで高得点を取らせることなのか。また高得点を取ることで、確かな学力が付いたと言えるのだろうか。科学的な基礎基本のついた大人象を考えてみると、次のような3点が言える。「学校で学んだことを応用して仕事や私生活を豊かにしている。」「自然についての疑問を追及しながら生涯にわたって科学的知識を深めている。」「実物に触れたり、体験をしたりすることを好む。」そのように考えると、ただテストで結果を出すことが、確かな学力を身につけさせることにはならない。理科において「学力」をつける、つまり「わかる」とはどういうことなのかと考えたときに、いくつかの要素がある。教科書の要約を黒板に書きなぐり、テストに結果を出すことは、『法則・論理として導き出したり、当てはめたりしてわかる』『ストーリーや言葉としてわかる』という要素を追求しているが、そこにとどまったものとなる。自然認識における本質的で重要な要素にとして、『立体的構造や目に見えないものをモデル化してわかる』『映像、イメージとしてわかる』『実際に触れてやってみてわかる』などがある。真に自然を『わかる』ことをもとめて、自然認識や授業展開について考えてみる。
 「毎日見ている地球の姿をどれほど説明できますか?」と質問して答えられる大人は少ない。なぜかこれは学校で習わずに大人になってしまうのが、現在の理科教育で、「地学教育」が不十分な部分である。『法則・論理として導き出したり、当てはめたりしてわかる』ことはできても、『実際に触れてやってみてわかる』ことを通してこれらを学べないのが現状である。
 例えば空気の重さなどは、感じることが中々できないが、大きな風船に空気を入れて、振り回してみると、遠心力によって、その重さを体験することができる。
 少量のスキムミルクを溶かした水に光を当てると、手前は青く、奥は赤く光る。青空と夕日の関係が太陽の距離に関係していることがわかる。
 水で濡れたペットボトルに栓をしたまま空気を入れていくと、圧力によってどんどん熱くなり水は水蒸気に変わる。ある程度の圧力をかけた後、栓を素早く取ると、急激に圧力が低くなり、温度も下がり、水蒸気だった水は、水の細かい粒に変わり雲のように見える。これにより、低気圧や高気圧などの説明もでき、雲のでき方も見せることができる。
 電球の明かりを背にして透明のビー玉を、目線にあわせて高く上げる。そして中を覗き込むとそこには虹が現れる。このように実験し体験できるものも多くある。
 小学校理科教育における地学分野の単元として「土地のつくりと変化」がある。この単元では、限られた実験だけでは説明がつかないので、『立体的構造や目に見えないものをモデル化してわかる』『映像、イメージとしてわかる』といった理解もあわせて授業を展開する。そこで今回は、CGにより作成した、火山噴火のメカニズムの説明や、三宅島査察の際の画像や、実際の地層の画像などを見せ、火山活動における地層生成について説明した。そして最後に実際の火山活動を再現するモデルを子どもに体験させる。模造紙に地元横浜から箱根や丹沢に渡る広範囲の地図を描き、その上に関東ローム層から取った土を細かく砕き、火山としてフィルムケースに入れてセットする。そこへ空気を送り込み爆発させる。そのとき偏西風としてうちわで風を吹かせると、土は風で飛ばされ広範囲に広がるさまが見られる。子ども達が自分たちの住む広大な土地が、火山噴火によってどのように作られてきたかを「わかる」ための大きな手助けとなる。

 理学博士の岡重文先生は次のように語っている。「地学とは多分に空想の産物なのです。」「地層の1m先、ましてや1km先は空想で地質図を作っているのです。」「新しい事実が出ると先輩の学説をエイヤエイヤと切っていくのが楽しいのです。」自然認識は多面的なものであり、一人一人が経験と思考を通して構築していくものである。言語的なとらえ以上に、時間的・空間的に見えない部分をモデル化し、それをとらえる力が核になっているのではないだろうか。モデル化してとらえる力を育てるには、十分な直接体験をもとに、見えない部分を自分なりに描いていく訓練や、抵抗無くそれができる支援が必要である。地学教育の充実は、今見ている郷土の風景の背後にある科学的な意味を、自分なりにモデルを作ることによって考え続ける力を育てるために重要なのである。
 

Posted by okada at 17:48


2004年8月22日
宮ケ瀬フィールドワーク速報


宮ケ瀬はかつて炭焼きで生計を立てていた人が多かったです。このおじいちゃまもそのひとり。実際に窯を前に炭の作り方、苦労話などを楽しく語ってくれました。炭焼きで農林大臣賞を受賞されたこともある達人です。
(清川村リバーランドにて)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
早朝5時からのバードウォッチング会。バードウォッチングと言えば染谷先生。楽しいガイドで、いくつもの野鳥を見せて頂くことができました。(宮ケ瀬早戸川林道にて)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
トレイルを歩きながらの植物観察会は、多少アップダウンのあるコースでした。樹齢200年以上に及ぶモミの木は大変太かったです。他にもシカの生息域を特徴づける、サンショ、クロモジ、アブラチャン、ミヤマキシミ、などがたくさんありました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
他にも丹沢の地形講座、夜には星座観察など、盛りだくさんの2日間でした。
熱心な先生方がゆえ、時間不足となり、最後は駆け足での植物観察と下山と相成りました。ダム見学も可能なら実施したいと考えていましたが、そのような事情でできませんでした。時間読みの甘さを反省しております。
多くのご参加、本当にありがとうございました。

Posted by okada at 20:52


2004年8月19日
みょうばんの溶解度に関する一つの問題提起

■物の溶け方「みょうばんの溶解度」に関する一つの問題提起
  発表者:神奈川運営委員会
    代表 岡田 篤 
oka@mva.biglobe.ne.jp

 
ミョウバンの溶解度は、無水物として考える場合と、含水物として考える場合の2通りの数値データのグラフが問題集や参考書に登場する。
実験でミョウバンを扱う際は、含水塩として表されるグラフを使う必要がある。
しかし、問題集や参考書には、どちらのグラフなのかの表記がほとんどない。
実際に授業では溶解度を実験から求めることをほとんどしない小学校では、どちらの表からも計算で析出量は算出できる。
つまりはどちらのグラフを使っても机上ではほとんど混乱は生じてはいないと思われる。
それでも専門家からの指摘により、溶解度の計算や実験で扱う際には、含水塩の数値データを使うべきと指摘された。
その後多くの問題集を再調査した結果、やはり両者のデータが混在し、そして、溶解度や結晶析出量を求めさせていることを確認した。今後混乱を未然に防ぐため含水物のデータを使うことに統一すべきになるだろう。データ混在の事実、統一することの意義、実際上は含水物のデータを使うという点を認識されたい。

Posted by okada at 13:21