年号 | 登場人物 |
主な出来事と時代背景
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A.D593年
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推古
(すいこ)
天皇
(聖徳太子
摂政)
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聖徳太子(=厩戸皇子(うまやのおうじ)が推古天皇の摂政となる。
朝廷内も豪族の争いが絶えなかった。蘇我(そが)氏が物部(もののべ)
氏を滅ぼし、その勢力は天皇をしのぐほどになった。
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A.D603年
A.D604年
A.D607年
A.D630年
A.D645年
A.D663年
A.D667年
A.D668年
A.D671年
A.D672年
A.D673年
A.D694年
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推古天皇
舒名(じょめい)
天皇
皇極(こうぎょく)
天皇
孝徳(こうとく)
天皇
斉名(さいめい)
天皇
天智(てんち )
天皇
弘文(こうぶん)
天皇
天武(てんむ )
天皇
持統(じとう)
天皇
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冠位十二条を制定 日本で初めてつくられた階級制度で、
家柄(氏や姓)に関係なく、能力重視の人材登用をすすめた。
厩戸皇子(うまやのおうじ)が 憲法17条をつくる。「和を以て、貴しと為す」
小野 妹子を隋に遣(つか)わす。大陸から優れた文化・芸術の導入
があった。
第1回遣唐使(大使は犬上 御田鍬)
大化の改新 中大兄皇子(なかのおおえのおうじ=後の
天智天皇)と中臣鎌足で、蘇我氏を滅ぼす。
初めて年号を大化元年とする。豪族中心の政治から
天皇中心の政治への転換点となったという。
公地公民制。全ての土地と人民は天皇に帰属するとした制度。
A.D.663年白村江(はくそんこう)の戦い。 倭国は同盟国の
百済を助ける為 に出兵したが、倭軍は唐・新羅連合軍に敗北し
朝鮮半島の足がかりは全く失われた。
A.D.667年中大兄皇子は都を近江大津の宮
(おうみのおおつのみや)へ移した。
A.D.668年中大兄皇子が即位、天智天皇
(舒名天皇の皇子)となる。
A.D.671年天智天皇(在位3年間)死去。
A.D.672年壬申(じんしん)の乱。天智天皇の太子である
大友皇子(おおとものみこ)に対し、天智天皇の弟である
大海皇子(おおあまのみこ、後の天武天皇)が地方豪族を
味方に付けて反旗をひるがえしたもの。反乱者である大海皇子
が勝利し天武天皇(673-686年)となる。
A.D.694年持統天皇(天武天皇の皇后=天智天皇の娘)
(690−697年)が飛鳥の藤原京に都を移す。(遷都)
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A.D701年
(大宝1年)
A.D702年
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文武(もんむ)天
皇
藤 原 不 比 等
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刑部親王・藤原不比等(ふじわらの ふひと)ら、
大宝律令完成。律は刑罰法令、令は律以外の法令。
2月大宝律令施行 12月22日持統天皇没58才。
この時初めて皇室の火葬が始まる。
藤原 不比等は(中臣鎌足の子、持統天皇に抜擢され、
頭角を現した。藤原氏の朝堂(朝廷)の基礎を築いた。)
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A.D708年
(和銅1年)
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元明(げんめい)天皇
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和銅開称鋳造 日本で最初の流通貨幣と言われる。
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