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菊田さんと食事へ |
5/1 pm2:30 教会の礼拝の後、僕ら一行は菊田さんの案内でおそい昼食をとることになった。 このあたりのレストランは、教会の礼拝がおわったあとで、どこも混んでいるようだ。 2件目の日本でいうファミレスのようなところで、食事をとることにした。 菊田さんの印象は、知人から聞いていたとうり、ほんとうに気さくで面倒見の良い頼れる兄貴という感じだった。.jpg) 今回のぼくだけでなく、日本からブルースの修行に来るミュージシャンが、彼をたよってシカゴに行くのが分かるような気がした。 しかも音楽に無知なぼくの友人2人にもわかりやすくシカゴのブルースシーンのことを説明してくれたりとほんとうに感謝しきりでした! 菊田さんは、このあとも他の教会でのフェローシップのために演奏するという。 ぼくらは、ある故有名ミュージシャンの息子が演奏するというBarへ向うために シカゴサウスサイドにもどる予定をたてていたため、菊田さんとぼくらは、固い握手をしてお互いの次の場所に向った。 さて次号からは、いよいよシカゴのブルースマンたちのステージに飛び入りセッションのレポ−ト も始ります。 お楽しみに!!!
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Posted by ohyeah at 19:20
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菊田さんと教会へ |
5/1 am9:30 昨晩 リトル ミルトンを観た後、ジョニー ドラマーというブルースマンのステージに飛び入りして ユースホステルに帰ったのが、じつに深夜というか早朝am4:00 ! その5時間後にシカゴで活躍するブルースギタープレーヤーの菊田俊介さんが毎週日曜に礼拝の時間に演奏しているインディアナ州ゲイリー市の教会に行くためにホステルの前でam9:20に待ち合わせをしていた。(迎えに来てくださりありがとうございます菊田さん) 3時間しか仮眠がとれず、ほかの2人にはさぞハードだったに違いない〜スミマセン感謝しております。 助さん&格さん !!! (じつは着いてまだ3日目の日記なんです、ほんと時差ボケする暇もないくらい密度の濃い日々でした) 約束の時間に菊田さんが迎えに来てくれて、車の中で共通の知人の話やシカゴの名所を教えてもらいながら話していたら、アッというまに教会へ着いた。 シカゴダウンタウンから約40分インディアナ州ゲイリー市はジャクソン5の出身地で有名でかつては鉄鋼業で栄えたが現在は街は荒れ果て、まるでゴーストタウンだった。 着くまでに町並みを観察していると、至る所にキリスト教会がある。貧困から自分たちの心を救うために必要とされているのがわかった。 教会に入ると洗礼 (バプティズム)がはじまっていた。 (バプティズム = キリスト教に入信するときに、いままでの自分自身の罪を洗い流す儀式) ぼくはクリスチャンではないのだが、2年ほど前まで東京のゴスペルクワイヤに属していて教会には毎週通っていた。 そしてブラックチャーチを訪れるのははじめてで、とても印象深いことばかりだった。 教会の規模としては小さい場所だったが、お年寄りから子供まで、みんなが小さな希望を求めて 集まってきているようだった。
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Posted by ohyeah at 21:13
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チトリン サーキット |
4/30 pm8:00 カーンの洋服屋を後にして、ぼくらはサウスサイド79thストリートにあるイースト オブ ライアン というライブ会場へ ブルースアーティストの リトル ミルトン とアーティ‘ブルースボーイ`ホワイトを観に向った。 この店は、ガイドブックにも載っていなかったのでどんなところか正直楽しみだった。 数ブロック前に車を止めて、歩いて会場に着いてみると、その店はどうやらモーテルのようだ! そしてLIVEはそのボールルーム(直訳で舞踏場 日本でいうホテルの大広間ですな〜)で行ない、どうやら食事も付くらしい。なにやら演歌歌手のディナーショウさながら、 いやいや実際のところ現地では日本でいう北島三郎(サブちゃん)ディナーショウのようなものなのであろう。 よく考えてみると、このエンターテーメントスタイルは、そのまま日本の歌謡界に移植されたのかと思ったくらい共通点がありで興味深かった。 それはよしとして、8時開始と書いてあったが、実際LIVEが始ったのはpm9:30 しかしその時間には、広い会場がブルース好きの中高年のアフロアメリカンたちでいっぱいになった。 さすがホーム オブ ブルース この街にはブルースが必要な人たちが沢山いるんだなと思った。 今回のタイトルになっている チトリンサーキット というのは黒人聴衆たちのためのツアーサーキット会場で、チトリンとは豚の腸の部分のことで、黒人が奴隷だったころ差別のために豚の肉の部分は白人が食べてその残りのこの部分をうまく調理して食べざろうえなかったことをもじって 白人がブッキングするライブサーキットに対してこのような呼び方になったと思われる。 人種差別をほとんど受けたことのないであろう、われわれニホンジンには少し理解しがたいことかもしれないが、それをタイトルにしているのは、彼らがとても逞しく生きてきた証の様にもおもえる。 そんな黒人たちばかりの会場だったが、みんな違うコミュニティから来たとわかるだろう僕たちに 気さくに話しかけて来てくれた。 おもしろかったのは3人もアフロアメリカンの女性に話しかけられたことで、他の2人がそんなことが無かったのをみると、どうやら僕はこのエリアではモテテイタ?らしい。 ブルースをPlayするので同じ臭いがするのかな??そのなかの女性の一人に誘われて、ダンスタイムにいっしょに踊ったり、その時間を楽しく過ごそうとするこのコミュニティの人達と過ごせるのがとてもよい思い出として残っている。 まさにブルージーなチトリンサーキットの夜でした!!
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Posted by ohyeah at 20:25
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