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2005年7月24日
菊田さんと食事へ

5/1 pm2:30
 
教会の礼拝の後、僕ら一行は菊田さんの案内でおそい昼食をとることになった。
このあたりのレストランは、教会の礼拝がおわったあとで、どこも混んでいるようだ。
 
2件目の日本でいうファミレスのようなところで、食事をとることにした。
 
菊田さんの印象は、知人から聞いていたとうり、ほんとうに気さくで面倒見の良い頼れる兄貴という感じだった。
      
今回のぼくだけでなく、日本からブルースの修行に来るミュージシャンが、彼をたよってシカゴに行くのが分かるような気がした。
しかも音楽に無知なぼくの友人2人にもわかりやすくシカゴのブルースシーンのことを説明してくれたりとほんとうに感謝しきりでした!
 
 
菊田さんは、このあとも他の教会でのフェローシップのために演奏するという。
ぼくらは、ある故有名ミュージシャンの息子が演奏するというBarへ向うために
シカゴサウスサイドにもどる予定をたてていたため、菊田さんとぼくらは、固い握手をしてお互いの次の場所に向った。
 
 
さて次号からは、いよいよシカゴのブルースマンたちのステージに飛び入りセッションのレポ−ト
も始ります。   お楽しみに!!!

Posted by ohyeah at 19:20


2005年7月20日
菊田さんと教会へ

5/1 am9:30
 
昨晩 リトル ミルトンを観た後、ジョニー ドラマーというブルースマンのステージに飛び入りして
ユースホステルに帰ったのが、じつに深夜というか早朝am4:00 !
その5時間後にシカゴで活躍するブルースギタープレーヤーの菊田俊介さんが毎週日曜に礼拝の時間に演奏しているインディアナ州ゲイリー市の教会に行くためにホステルの前でam9:20に待ち合わせをしていた。(迎えに来てくださりありがとうございます菊田さん)
 
3時間しか仮眠がとれず、ほかの2人にはさぞハードだったに違いない〜スミマセン感謝しております。  助さん&格さん !!!
(じつは着いてまだ3日目の日記なんです、ほんと時差ボケする暇もないくらい密度の濃い日々でした)
 
約束の時間に菊田さんが迎えに来てくれて、車の中で共通の知人の話やシカゴの名所を教えてもらいながら話していたら、アッというまに教会へ着いた。
シカゴダウンタウンから約40分インディアナ州ゲイリー市はジャクソン5の出身地で有名でかつては鉄鋼業で栄えたが現在は街は荒れ果て、まるでゴーストタウンだった。
着くまでに町並みを観察していると、至る所にキリスト教会がある。貧困から自分たちの心を救うために必要とされているのがわかった。
 
教会に入ると洗礼 (バプティズム)がはじまっていた。
(バプティズム = キリスト教に入信するときに、いままでの自分自身の罪を洗い流す儀式)
ぼくはクリスチャンではないのだが、2年ほど前まで東京のゴスペルクワイヤに属していて教会には毎週通っていた。 そしてブラックチャーチを訪れるのははじめてで、とても印象深いことばかりだった。
教会の規模としては小さい場所だったが、お年寄りから子供まで、みんなが小さな希望を求めて
集まってきているようだった。

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Posted by ohyeah at 21:13


2005年7月11日
チトリン サーキット

4/30  pm8:00
 
カーンの洋服屋を後にして、ぼくらはサウスサイド79thストリートにあるイースト オブ ライアン というライブ会場へ ブルースアーティストの リトル ミルトン とアーティ‘ブルースボーイ`ホワイトを観に向った。
この店は、ガイドブックにも載っていなかったのでどんなところか正直楽しみだった。
数ブロック前に車を止めて、歩いて会場に着いてみると、その店はどうやらモーテルのようだ!
そしてLIVEはそのボールルーム(直訳で舞踏場 日本でいうホテルの大広間ですな〜)で行ない、どうやら食事も付くらしい。なにやら演歌歌手のディナーショウさながら、
いやいや実際のところ現地では日本でいう北島三郎(サブちゃん)ディナーショウのようなものなのであろう。
よく考えてみると、このエンターテーメントスタイルは、そのまま日本の歌謡界に移植されたのかと思ったくらい共通点がありで興味深かった。
 
それはよしとして、8時開始と書いてあったが、実際LIVEが始ったのはpm9:30
しかしその時間には、広い会場がブルース好きの中高年のアフロアメリカンたちでいっぱいになった。
さすがホーム オブ ブルース この街にはブルースが必要な人たちが沢山いるんだなと思った。
 
今回のタイトルになっている チトリンサーキット というのは黒人聴衆たちのためのツアーサーキット会場で、チトリンとは豚の腸の部分のことで、黒人が奴隷だったころ差別のために豚の肉の部分は白人が食べてその残りのこの部分をうまく調理して食べざろうえなかったことをもじって
白人がブッキングするライブサーキットに対してこのような呼び方になったと思われる。
人種差別をほとんど受けたことのないであろう、われわれニホンジンには少し理解しがたいことかもしれないが、それをタイトルにしているのは、彼らがとても逞しく生きてきた証の様にもおもえる。
 
そんな黒人たちばかりの会場だったが、みんな違うコミュニティから来たとわかるだろう僕たちに
気さくに話しかけて来てくれた。
 
おもしろかったのは3人もアフロアメリカンの女性に話しかけられたことで、他の2人がそんなことが無かったのをみると、どうやら僕はこのエリアではモテテイタ?らしい。
ブルースをPlayするので同じ臭いがするのかな??そのなかの女性の一人に誘われて、ダンスタイムにいっしょに踊ったり、その時間を楽しく過ごそうとするこのコミュニティの人達と過ごせるのがとてもよい思い出として残っている。
まさにブルージーなチトリンサーキットの夜でした!!
 
 
 

Posted by ohyeah at 20:25


2005年6月26日
ステージコスチュームをGET  PART U

4/30(土) pm5:00
 
大騒ぎの衣装選びもようやく終わり前号での写真のパープルの衣装を購入することを決めて
もとの服に着替えるために、更衣室に入った。
自分の洋服に着替えて、さっきの大騒ぎ中に近くの化粧品屋から物売りに来ていた男に
POLOのコロンを買うとやくそくしていたので、スーツの会計の前にまずコロンの代金を払う用意をしておこうと思い財布をあけた。   ところがなんと財布のなかに入っていた現金60ドルが
1ドルもない!!!
 
まさか???  さすがに犯罪多発地域で有名なシカゴサウスサイド!とおもったのと同時に
この店の奥の更衣室を案内してくれて、このパープルスーツに似合う帽子や靴をコーディネートしてくれた、この店の若いアフロアメリカンの店員の言葉を思い出した!
 
「ここには、他に誰も入れないから、荷物は全部おいていっていいよ。ぼくが見ているから」
しかしキャッシュは消えている!   あれから誰もこの部屋に入ってきていないのを見ると
もうどう考えても盗んだのはコイツしかいないだろう!!
 
自分で見張っていると言って、自分で盗難をするなんて日本ではまず考えられないが
こんなマンガみたいな出来事がここでは起こり得るのである!
(それでも、全く持って自己管理の問題なので、それを指摘されてしまうと何も言えないのだが)
 
 
このことに気が付いてから、ぼくのアタマの中では超高速回転でいろいろなことがよぎった!
もしかしたら国際的犯罪組織が彼のバックにいて、カードもいま問題になっているスキミングなど
されていないであろうか? もしかしたら知らない間に他の2人も何か被害に遭っていないだろうか??
 
とにかくまず、ビビッたのは無論で、すぐにスーツをキャンセルして、とにかく友人2人を連れて
この店から逃げ出すことも考えた。
 
しかし、、それでは日本男児たるもののプライドがすたる!
肝をすえて、スーツを買うことを決めて
〜この店の中で、どこまでの人間が盗んだあの男の犯人の仲間で、キャッシュを盗まれた真実を告げた段階で誰がこの店でぼくの味方になってくれるのかを見極めようと心を決めた!!〜
 
まず日本人の仲間の2人 Taka と Yasu を更衣室に呼んで財布の中身を盗まれたことを話したら、当然のごとく大騒ぎになった。   もちろんそのときは日本語での会話だったのだが
それを見てなにかを察知したのか、
カーンがすぐに「何かあったのか?」 と聞いてきた。
 
前号で書いたパキスタン出身のこの店のオーナーである。
事情を彼に説明すると、彼はまず
「化粧品屋があずけて行ったコロンはどうするんだ??」  という話になった。
 
コロンはカードでは精算できないと言われキャッシュが盗まれて無いんだから買えるわけがないだろう!! と口には出さなかったが
ぼくは「いまはもう現金がないから、悪いんだが化粧品屋の彼には買えないからと言って戻してくれないか」   と話したら
 
カーンは「わかった、このコロン代は私が払っておくから」と彼は言った。
コロンをキャンセルしたことでコミュニティの和を崩したくないという彼の意図はすぐに理解できたが、ここで同時にカーンは、財布の中身を盗んだ店員とはこの件では繋がっておらず
盗んだのも単独で衝動的にサイフから現金を抜き取ってしまったのだろう、というのがすぐに推測できた。
 
とにかく、この店のオーナーであるカーンは、僕らの仲間である!!
ぼくはカーンに「キャッシュは盗まれたけど、とにかくこのスーツは買いたいんだ」と話した。
 
このときなぜだか分からないが、ぼくとカーンのあいだで言葉では説明出来ない絆が生まれたよな気がした。
 
店の外を見ると財布の中身を盗った当人は、どこか不自然な態度で店から3件くらい離れたあたりで誰かと話している。
カーンはそれを見ながら
「このストリートの上を見てみろ、カメラがあるだろう、警察が防犯対策のために見張っているんだ。このあたりでは金欲しさに殺人だって起こることがある。とにかく気を付けろ、もし何か起こったら私にいつでも電話しろ。夜中でも君たちをいつでも助けに行くから」
と彼の名刺はすでにもらっていたのだが、それに携帯番号を書き加えたものを僕にくれた。
 
ほかの二人が車をとりに行っている間に、クレジットカードで会計をするときに、カーンはスーツの値段から盗まれた金と同額60ドルを引いてくれた。
そして帽子だけは欲しいサイズがなかったので取り寄せてもらうことになったのだが、届き次第に
ホステルまで届けてくれると言うのだ。
 
もうこのころにはすでに、現金を盗まれたという恐怖の半分は、彼の人情によってどこかに吹き飛んでしまっていた。
会計が終わったころに、TakaとYasuが車を店の前に着けていた。
 
恐怖が去ったぼくの心には、もう少しこのあたりを散策したい、という思いがあったがそれも叶うはずは無く、トラブルにあったはずこの47thストリートを立ち去るのが、なぜかとても寂しく感じながら
次の場所を目指しこの場所を離れた。
 
 
これは後日談になるのだが、カーンがぼくがジャムセッションをするとう店に、前記の帽子を届けに来てくれた。
そのとき彼はぼくに言った。
「君の金を盗んだあの店員は、もうクビにしたから!!!!」
 
いまでも2、3週に一度はメールで彼とはやりとりをしている。
 
カーンはいまだにぼくのシカゴでのベストフレンドである!
 
シカゴでの最大のピンチを救って解決してくれた彼には、いまでも心から感謝している。
 
 
ここまで読まれている方には、なぜそんな危険をおかしてそんな危険なところにいったんだと、思う方も沢山いると思う。
 
ぼくにとって答えは一つ      そこにブルースがあるから!
 
あるシカゴのブルースマンは言った、
「ブル−スとはCDショップでジャンルをカテゴライズするための作り出された言葉ではなく
奴隷としてアメリカに連れて来られて人間として扱ってもらえなかった私たちアフロアメリカンたち
の現実として起こったことを現したフィーリングだ」
 
それから何十年経ったいまでもアメリカ社会では、人種差別ははびこり本当の平等が無いから彼らはここに止まり貧しいながらも仲間たちで励ましあい生きている。
その貧しいなかでは、もちろん犯罪もおこり、ぼくはその被害者になってしまったのだが、
彼にとってはその60ドルあれば、普段買うことが出来ないものも沢山得ることが出来たのだろう。犯罪をしたことを見逃すつもりはないが、そうせざろうえない状況が、この場所にはあり
アメリカという国の勝者と敗者をはっきり作ろうとする社会構造が、ぼくの今回の盗難事件に決して無関係ではないということを、ぼくは皆さんにお伝えしなければならないと思っている。
 
ぼくはいまだに、彼らのフィーリングであるブルースはこの場所にあると、いま日本に帰ってきて思うようになった。
アメリカがけっしてスポットライトを当てようとしない影の一部がブルースであるとすれば今回に事件によって、ぼくは皮肉にも、はじめて音楽ではないフィーリングであるBLUESをはじめて
体験出来たような気がした。
 
そしていまの段階では貧富の差もあまり無い日本からはるばる海を越えて、観光ガイドにものせられないような見知らぬ場所にいって、日本とは違った環境に身を置いてみてそしてこの状況から被害に遭いながらも逃げ出さなかった自分がこのときに人生で一番の成長をしたんだと今では思っている。
 
最後にこんな記事を書いて宣伝するなんて矛盾していると言われるかもしれないが、シカゴでの恩を少しでも彼に返したい僕の気持ちをご理解いただいた上で
カーンの店の紹介をさせて欲しい。
 


 

〜Best Buy Clothing〜

212 E.47th Street,Chicago,IL 60653 USA

Tel/Fax:(773)624−5426

 
 
 
Mr.Oh Yeahの知り合いだといえば間違いなく大きな歓迎で迎えてくれるのは間違いないでしょう!!
 
ただしその時は、ぼくのように自己管理という忘れ物を皆さんはしないように!!

Posted by ohyeah at 10:16


2005年6月5日
Mr.oh yeah一行 サウスサイドへ

ふたたび 4/30(土)
Oh Yeah一行は、僕らの泊まるダウンタウンのユースホステルからミシガンアベニューを南下してマディ ウォータースやハウリン ウルフ の所属していたレコードレーベル CHESSレコードの CHESSスタジオのあった場所に向った。現在はそこのプロデューサー、ベーシストであり
〜アイム レディ〜や〜フーチークーチーマン〜などのブルースの数々の名曲を残している
故ウィリー ディクソンのブルースヘブン財団が管理するブルースに関する博物館として存在していた。
 
しかしだ! 営業時間をWebで確認して行ったにもかかわらずClosedしている!!
まったくここいらへんは時間をきっちりと守るのが当然の日本とはちがい営業時間も気分次第なのだろうか??とにかく郷に入らば郷に従うしかない。
また他の日に再び訪れることにして、さらに車を南下させた。
 
途中チャイナタウンで昼食をとり、このあたりではちょっとした繁華街にみえる 47th ストリート で車を止めた。
まず僕の目をひいたのがこのブログの壁紙になっているブルースマンたちの壁画である。
ここは映画「ブルースブラザース」でレイ チャールスが出てくる楽器屋のロケ地として使われた場所で、現在その店は質屋として営業していた。
なにかほんとうに、映画のスクリーンの中の世界に入ったみたいで自然に足が動いて、いつの間にか街の散策がはじまった。
 
 
 
 
かつての
チェススタジオ  
 
ウイリーディクソンブルースファウンデーションの中庭の
テナント

Posted by ohyeah at 11:55


2005年5月21日
4/29 シカゴに到着

4/29(金) 昼12:10現地時間
3年ぶりにシカゴに戻ってきた。
今回は都内の某BarでLiveをよく観に来てくれて知り合ったTakaとYasuも同行しての旅である。
 
私のこの旅のテーマは、以前2回の渡米の時には、観きることの出来なかったシカゴの黒人居住区であるサウスサイドとウエストサイドを中心にシカゴのブルースの生まれてきた本来のエリアであるこの場所にスポットをあてて、邦人プレイヤーを含む現地ミュジシャンたちの
Liveに飛び入りセッション参加させてもらい交流を持つというところにあった。
 
 シカゴオヘア空港到着手続き後に、まずレンタカーをかりた、単なる観光では公共機関の整っているシカゴでは必要ないが、深いスポットを目指すには必需品だ。
3年前に1週間ほどアメリカで運転したことはあるが、ハンドル、車線ともに左右逆であるために感覚を取り戻すためにレンタカー屋の敷地内で、一緒に運転してくれるYasuと練習後に宿泊先であるシカゴダウンタウンのループ地区にあるホステリングインターナショナルに向った。

Posted by ohyeah at 13:48